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やっと南極レース&旅のレポートの最後の3日をアップした。4月にHPのリニューアルを計画し、しばらくwebから離れていたので勉強することからスタートして、リニューアル自体は集中して終わらせたが、リニューアルの動機になった南極レースのブログからのHP化はときどき思い出したように作業するだけだったため時間がかかってしまった。何とか年を越さずに完了できてよかった。

http://www.adventure-runner.com/desert/antarctica/report/01.html

レポートの最後は
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次の旅はウユニ(ボリビア)に行きたい」と目的地は決まっているので、
それがまた日々の生活に刺激を与えてくれるのだろう。
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と締められているが、次の目的地は書いた当時は候補にも挙がっていなかったグリーンランドになっています。またHP化するのに何ヶ月もかかるような旅をしたい。(グリーンランドは2週間ですが・・・)

それでは皆様よいお年を!
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お友達向け南極レース報告会をおこないました。広く広報はせずFacebookのお友達範囲での開催にしましたが、それでも約70名が集まる大きな会になりました。会場は2011年12月にアタカマDVD発売記念報告会をおこなった会場「フォレスタ虎ノ門」にしました。この会場は明るい雰囲気と設備もしっかりしているのでイベントをやるにはとてもいい場所です。

        

直接の友達がほとんどの会だったので、受付や会場のレイアウト変更などみんなに手伝ってもらいました。報告会をおこなうときはなるべく自分以外の出場者にも一緒に報告してもらっています。いろいろな人がそれぞれの目的で参加し、全力でチャレンジしているというのを伝えたいと考えているためです。今回はメインの報告者は私と飯田美絵さん(The Last Desert)、そして別の南極レースに出場した小野さん(Ice Marathon)という南極三昧。そのほかに「南極のあとに何を目指すのか」というテーマで1人1人の想いを語りました。みんなで報告をすると話に深みが出ていい感じになります。自分1人ではこういう雰囲気は作れないよな。

報告会の様子は映像のプロのお二人が撮影・編集を担当してくれました。素敵なDVDにまとめてくれると思いますので楽しみに待ちたいと思います。これで南極レースに関するイベントはいったん終了。砂漠からの一連の活動ほんとうに楽しかった。またいずれおもしろいネタを作ってイベントできたらいいと思っています。

■資料

■スケジュール
18:50 開場(受付開始)
19:00 開始。写真スライドを流します。
19:30 プレゼンテーション・オープニング
19:35~20:05 The Last Desertの報告(樺澤秀近)
20:05~20:20 The Last Desertの報告(飯田美絵)
20:30~21:00 Ice Marathonの報告(小野裕史)
21:10~21:40 南極の次に目指すもの(樺澤秀近・小野裕史・飯田美絵・佐藤嘉紘・宍戸生司・武石幸一)
21:40 集合写真撮影
21:50 The Last Desertの映像を流します。
22:30 片付け開始
22:45 お店撤収





(写真)南極出発前日に上野山荘にて。後列左から2番目がトールさん。この写真に写っているうち南極ランナー4人と旅人2人は2/12の南極レース報告会で再会した。

去年11月に南極レースのために滞在したウシュアイアの上野山荘で出会ったトールさん。私が南極からウシュアイアに戻った12月4日に上野山荘に置いてあったきちんと漕げない(壊れた)自転車に荷物を積んで旅立っていきました。その自転車の部品はウシュアイアでは手に入らなく完全に直すことは不可能らしい。きちんと漕げなくても荷物を載せていれば楽だし下りは乗れるし、4月までにパラグアイに着ければいいやと言っていました。

その後無事に旅ができたのか気になっていたのでメールをしてみると、今はチリのビーニャデルマールにいるらしい。ブエノスアイレスの上野山荘別館に自転車を届けられればというのが目標だった気がするがどうなったのだろうか?

壊れた自転車にしては移動が早い気がするので聞いてみると、フエゴ島200kmとアウストラル街道約1300kmをキャンプしながら自転車で走りプエルトモンの北100kmにあるオソルノというところから自転車をバスに積んでサンチャゴに移動。サンチャゴの宿に自転車を置いてビーニャデルマールに遊びに来ているとのこと。この後、サンチャゴからまた自転車ごとバスに乗ってパラグアイの首都アスンシオンに向かうようです。

アウストラル街道南端に「世界一美しい国境」というのがあるらしい。「川の水は99%飲めますし、野宿も安全です(だと思います)」とのこと。「アウストラル街道」覚えておこう。

南極レース前に参加者の中から有力選手をピックアップしていたのですが、その選手達がどういう結果になったのか気になって確認してみました。
 
■レース前にピックアップした選手達
 
すると驚愕の事実が!男性の有力選手6名のうち3名が欠場。私が特にうまく走れたわけではなく、このメンバーだったら順当に男性部門3位でした。むしろゴビで私よりも下位だったマイケルが2位なんだからもっと前を追わなければいけなかったのでは・・・。本当はもっと前に行きそうなオリビエが後ろにいるから結果が同じなだけで。砂漠レースはマニアックな世界だから順位は本当に水物。そのときにどんな人が参加したかによって大きく変ってしまう。
 
そのため形には残らない自身が心から納得できたかが最も大切だと思います。私はこの1年の準備とレースには納得しています。でも手にした結果が極めて普通の結果だったというのは少し残念な感じもします。
 
追伸・・・はっきり言ってしまえば有力選手が揃って3位に入れないよりも、レースのレベルが下がっても3位を頂けた方が嬉しいです!(笑)
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(写真1)ウシュアイアの港
(写真2)サマンサ

朝起きるとすでに船はウシュアイア到着。朝食に行く前に船から降りる準備を済ませ大きな荷物(スーツケース)を部屋の外に出しておく。部屋のカギを受付に返してレストランで朝食。朝食の後すぐに船から下りれるのかと思っていたが、どこから降りるのか、降りてよいのかわからない。とりあえずラウンジやデッキをうろうろして外の様子を見る。ウシュアイアはすでに夏だが南極に行っている間にも雪が降ったようで、近くに見える山の中腹から上は真っ白に雪が積もっている。
 
8時ごろみんな船から下り始めたので着いていって船から下りる。桟橋でスーツケース待ち。荷物が船から降ろされた選手から荷物を受け取って帰って行く。今までのレースでは南極を目指していたため、レースが終わったときに次はいつ頃どのレースに行きそうと決まっていたが今回は次はない。少しずつ選手が散らばっていき終わったんだなと感じるのもこれが最後と思うと本当に名残惜しい。最後にレースの現場責任者的な役割のサマンサに「ありがとう」とご挨拶する。レースの前から自分のめちゃくちゃな英語メールに丁寧に答えてくれサポートしていただきました。「次のレースはどうするの?」と聞かれたので少し困ったが「Maybe Sahara」とだけ応える。もしも(可能性の低いたぶん)行くとすればリタイアしてしまったエジプト・サハラにもう一度だろうと思う。
 
8時30分ごろ荷物を受け取って桟橋から出る。この後日本人参加者は、私、佐藤くん、宍戸さん、武石さんは上野山荘へ。村上さん夫妻、美絵さん、近藤さんはそれぞれ観光など寄り道して帰国する。タクシー乗り場でタクシーを2台頼み上野山荘のメンバーは2人ずつタクシーに乗り込んで上野山荘に行く。呼び鈴を鳴らして久しぶりの管理人ルミさんとの再会。南極もレースも楽しかったとわいわい騒ぎながら部屋を割り振ってもらう。なんだか上野山荘に戻ってきてほっとするなあ。南極から戻っただけで日本からは果てしなく遠いのに帰ってきたという気分になる。窓の外を見ると日差しはあるがチラチラと雪が舞っている。

トールさんが上野山荘に置いてあるきちんと漕げない壊れた自転車に荷物を積みパラグアイを目指すという。ウシュアイアでは部品が手に入らなく直せないそう。4月までにパラグアイに戻れればいいかなと言っていた(パラグアイで留守番のバイトがあるのだろう)。果てしない旅になりそうだが大丈夫なのだろうか。

10時すぎに上野山荘出発。宍戸さん、武石さん、佐藤くんは観光列車「世界の果て号」を見に行く。私はショッピングモールに行きネットで簡単に南極の報告をアップしてからセントロに行くことにして3人と分かれる。ネットに南極のレースの結果や楽しかったことを次々とアップしていると時間もあっという間に過ぎ気がつけば3時間経過(笑)メールを見ていると今ウシュアイアを目指してアルゼンチンに入ったれなっちがブエノスアイレスでトラブルがあって参っている様子。「もう嫌だから夕方ウシュアイアの空港に迎えに来て」とのこと。それじゃあ、18時ごろにウシュアイア空港に迎えに行きますかー。
 
15時ごろサンマルティン通りを歩いていると佐藤くんに呼び止められる。世界の果て号に行っていた3人が街に戻ってきていて喫茶店にいたところ私を発見して呼び止めた。土産物屋が15時30分オープンなので店が開くのを待っているとのこと。土産物屋で砂漠ランナーに出会うと「おめでとう」と声をかけられる。レース中もステージ2でトップを走った後からいろんな人に「いい走りだ」と声をかけられるようになったが、男子3位で表彰されてさらに覚えられたのだろう。お土産は何か買っていこうと思い南極に行く前から繰り返し立ち寄っているのだがいまいち買いたいものが見つからない。3人と別れ郵便局に寄り南極で出せなかった絵葉書を投函。
 
ウシュアイア空港に迎えに行くには少し時間があるので暇つぶしを兼ねて歩いてウシュアイア空港まで行ってみる。歩道はしっかり整備されていてランニングしている人が時々いる。空港が近づくと100mごとに距離表示(地面に手書き)があった。ウシュアイア空港は市街地からの直線距離は近いが海を挟んでぐるっと回り込むため歩いてみると意外と距離がある。歩いて行っても飛行機が到着するよりもだいぶ早く着きそうだと思っていたが飛行機到着の30分ほど前に到着した。
 
18時50分にれなっちが到着ロビーに出てきた。ブエノスアイレスのトラブルはエセイサ空港からアエロパルケ空港に移動するときに「アエロパルケ」がレミースの運転手にうまく伝わらず別のところに連れて行かれスペイン語で怒られたようだ。「空港」と強調すればよかったと思われ・・・。そのほか変な現地人に髪を触られたとか。そんなことが重なって怯えていたらしい(笑)とにかく実被害はなくてよかった。タクシーで真っ直ぐ上野山荘へ。タクシーは割と使い古した車が多いのだがここで乗ったタクシーは新車っぽい感じで乗り心地もとてもよかった。
 
上野山荘に戻ると宍戸さんが肉を調理していて丁度できあがったところだったので頂く。なぜかアルゼンチンに来てから一番アルゼンチンだなあと感じた食事が宍戸さんのステーキ(男の豪快料理)というのが何だかなあという気もするが宍戸さんの料理はシンプルな味付けでうまい!
 
飲み物や明日の朝食を買いにれなっちとLAスーパーへ行く。れなっち到着報告をしにショッピングモールへ行きネットしていたら、うっかりLAスーパーの閉店時間22時を過ぎそうになった。閉店ぎりぎりに駆け込みで買い物を済ませる。LAスーパーは22時閉店だがショッピングモールのフードコート(日本のイオンにあるようなフードコート)は25時まで営業しているらしい。やっぱり時間の感覚が日本とずれているんだよな。
 
上野山荘に戻り他の日本人旅行者(バックパッカー)も交えて南極レースの話をする。
明日は朝からフエゴ国立公園にトレッキングに行く予定。
 

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■11/30(金)南極最終日
 
朝食を済ませた後、8時からゾディアックで氷山ツアーがあるらしい。自由参加だがこれが南極での最後のアクティビティになるため参加することにする。長靴を履いてゾディアックに乗り込むデッキに行くと何人かゾディアック待ちをしていたがグループが大きいらしく、すでに出発待ちをしているゾディアックの次の便を待っている。そこで待っているゾディアックに乗ろうとすると「スパニッシュ?」と聞かれる。ツアーはスペイン語ガイドか英語ガイドに分かれてゾディアックに乗るようになっていた。いくら英語すらままならないとはいえスペイン語ガイドで出かけてもまったくわからないため英語ガイドのゾディアックに乗るため一度階段を引き返してデッキに戻る。しかし結局スペイン語ガイドのゾディアックに乗る人がいなかったため、私がスペイン語ゾディアックに乗せられる。同じように美絵さんと近藤さんも同じゾディアックに乗船。
 
曇り空の下、氷山ツアー出発。南極に来てから最初の3日間は南極にしては珍しいという晴れに恵まれたが、それ以降は南極らしい?曇り空ばかりだったな。ゾディアックは氷山に近づいては止まりガイドさんが何やら説明をしていく。この辺りは岩場のような小さな島がたくさんたくさんあり陸地沿いに氷の壁やそこから剥がれ落ちた小さな氷が流れている。曇り空でも氷は青く光りゾディアックから水面の下の氷を見ると緑がかった青い色をしている。最初のうちは何が見れるかわくわくしていたが、何日も南極にいた後なので飽きてきた。ゾディアックに乗っていると風は寒いし揺れて疲れるため1時間経過したころには早く船に戻らないかなとばかり考えていた。船のほうに戻っていくときに今にもひっくり返りそうな感じにゆっくり大きく揺れている氷山を見た。9時40分にツアー終了。
 
船は南極半島からほぼ真北へ向かう。南極に来るときは丸二日間の航海だったがレース(観光)を南下しながらおこなっていたため帰りは少し距離が長く三日かかる。すぐに景色から島や氷山の姿はなくなり波で船が揺れ始める。これからドレーク海峡に入るとまた船酔いとの戦いだ。帰りはその後のレースなど考えなくてよいので酔い止めを飲まずにどこまで行けるか試してみることにする。12時30分からランチ。食事の時間やブリーフィングの招集、その他お知らせなどで放送が入ると大抵最後に「Enjoy!」と言って放送が終わるため、なんでいつもそういう決まり文句なんだろうと思っていたら、放送が入ったときに放送を聞いていた外国人選手が先に「Enjoy!」と言っていた(笑)
 
小耳に挟んだ話。今回の南極レースは周回コースのため雪が深い場所では一列に道ができてくる。そのため上位の選手が周回差で後ろから接近してくると下位の選手が道を譲る場面も多くなるのだが、上位選手の1人マイケルの仲間達がマイケルに少しでも有利になるようにターゲットを決めて道を譲らずにブロックする作戦をしていたらしい。私もブロック対象にされていたと。マイケルあまりにもガチ過ぎてちょっと引くわー。真剣にやるのはもちろん素晴らしいことだけどそれはやり過ぎ。逆にビンセントなんかは1位を確保した後は明らかに流している感じでそれもどうなんだと思うけど。
 
深夜になっても船はまだようやくキングジョージ島くらいの緯度。ここから丸2日くらいかかると思うと憂鬱になる。まだ南極にいると言ってもいいくらいの位置だが南極半島にいるときよりは空が暗くなるようになった。シャワーの水圧が南極半島のときよりも上がった気がする。レース中はみんなのシャワーを使うタイミングが同じだったからかな。

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■12/1(土)ドレーク海峡
 
ドレーク海峡に入ったが海は穏やかでほとんど揺れない。酔い止めを飲んでいなくても全く問題なし。何もやることがなく暇過ぎる。夕方に南極上陸証明書をもらった。これは南極に行った観光船が発行してくれるもので名前・船名・上陸地・緯度経度・日付が入っている。上陸地はネコ湾で南緯64度50分。南極圏は1年のうちに太陽が全く昇らない、または沈まない日があるという定義で南緯66度33分よりも南のため今回は南極圏には入っていないことになる。
 
今日の食事の時間は、朝食8時、昼食12時30分、夕食19時。それ以外はベッドに横になってうとうとしていた。帰国したら2月のマラソンの準備に入らないといけないのにこんな生活していたら体力落ちてしまう。しかし南極で目標達成したしだんだんどうでもよくなってきた。2月の別府大分マラソンは行かないことにして東京マラソンだけにしよう。明け方まで上の階のラウンジではパーティのような大騒ぎがおこなわれていた。

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■12/2(日)ホーン岬
 
ひたすら暇な1日。だいぶ南アメリカ大陸が近くなってきた。南米最南端のホーン岬を見ることができるかなと思っていたら午後になり船はホーン岬に到着。デッキに出るとホーン岬が見えるほかイルカが船と並走している。オリビエと少しをした。オリビエはやっぱり私よりも少し上の力を持っていてフルマラソンのベストは2時間46分。ただ膝に古傷がありアップダウンのあるコースだと痛みが出てしまい南極の不安定な足場では本来の力を出せなかったようだ。一番の目標・好きなレースはサハラ・レースで平らなコースが得意らしい。南極は船の移動が辛いねという話から「レースなしで観光として南極に行こうとは思わなかったかな」と。これまでの砂漠レースでも観光だけで果たしてそこまで行っただろうかという僻地へ赴いている。このレースのおかげで普通の人がなかなか経験できない世界を見て来れたのだ。
 
夕食のときにはすでに船はビーグル水道の入口にいた。しかしそれ以上先へ進まず停泊している。ここから先は海が浅く座礁しないように水先案内人が船を先導していくのだとか。だけどウシュアイアから南極に向かうときは船の前に案内がいたりはしなかったよな。さっさと進めば今日中にウシュアイアに帰れそうなのに。早く陸に上がりたい。
 
夜は表彰式。集まった選手たちの一部はエマージェンシーシートでドレスアップしている。金色と銀色できらきらしたエマージェンシーシートをドレスのように着ている。いよいよ入賞の楯をもらえるのかな?と期待は最高潮。もしかしたらコメントを求められるかもと不安も少々。まあなるようになるさ。男女の優勝者ビンセントとアンナ・マリーが表彰された次に突然名前を呼ばれた。優勝の次は2位ではなく3位を先に表彰するのか!?片手にカメラを持ったままなので誰かに撮ってもらおうと渡す相手を探すが日本人選手は後ろの方にいて見つからない。すると韓国のユニくんと目が合ったのでとっさにお願いとカメラを渡す。(ユニくんが写真撮ってくれました)
 
期待通り今までの砂漠レースで「あれほしいなー」と眺めていたガラスのオブジェがついに目の前に!南極の氷をイメージして少し青く光っている。そしてやっぱりコメントを求められマイクを渡される。そうなったら単語並べるだけでも自分でコメントしようと少しは思っていたが頭の中真っ白で脚も震える(笑)村上さんから「がんばれ!」と激が飛ぶ。しかし近藤さんが目に入ったので「通訳お願いします」と頼んでから「今まで一緒に走ってくれた選手の皆さんと素晴らしい経験の場を作ってくれた主催者に感謝します」とコメント(これくらいの内容なら自分の英語で言えるじゃん!と頭の片隅で思った)。
 
ガラスのオブジェを手に日本人選手みんなのところへ。めちゃくちゃ嬉しい!最後の砂漠レースで形に残る物を(完走メダルの他に)持ち帰りたいと目標にしていたものを手に入れることができて本当によかった。美絵さんが「日本人が表彰されるなんて誇らしいねー」と言う。自分も嬉しいけれど周りの人に喜んでもらえるのがさらに嬉しいこと。オブジェには名前を書く(彫る)場所があるのだが誰が手にするかわからないため名前は入っていない。帰国したらガラスを加工してくれるようなところに出して名前を入れよう。名前が空欄になっているのを見つけたひろっちが「マジックで名前書いちゃおうか」と言っている(その後もそういう人が後を絶たない)。
 
表彰は4Deserts制覇達成者への4Desertsメダル授与へ。RacingThePlanetの主催レース「エジプト・アタカマ・ゴビ」のうち2つ以上を完走しないと出場できない南極レースだけに対象者がすごく多い。あと1年間で4つの砂漠を全てという人もたくさんいて驚いた。そんなにお金と時間を作れるってどういう人なんだろう。日本人参加者の中からは、宍戸さん、村上さん、美絵さんの3人が達成。自分は2009年にリタイアしてしまったエジプトを完走すれば4Deserts制覇だけどいつかやるのだろうか。
 
南極レース最後の幸せな夜。いよいよ明日の朝はウシュアイアに帰還だ。
 
 
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(写真1)武石さん。日の丸を掲げて。
(写真2)ペンギンお世話になりました。
(写真3)記念写真。(村上さんゴール前、代わりにオリビエが入っている)

5時に起床しテントを畳んでゾディアックに乗り船へ戻る。雪がちらちらと舞っているものの寒くは感じないし夜(明るいが)もよく眠れた。風もなく穏やかで今日は予定通り8時間のレースができそうだ。上位陣は入賞をかけた最後の意地のぶつかり合いになるだろう。緊張感はあるがレースとしてこんなにおもしろいことはない「やってやるぞ!」。船で朝食にしている間に船はネコ湾を出発しパラダイスベイへ向かう。4時間ほど移動し10時ごろ到着予定らしい。夜も眠れたがやはり船のベッドのほうが休まるためブリーフィングまで寝る。レースの準備を済ませるがなかなかブリーフィングの呼び出しがかからない。
 
現地到着予定の10時になっても船は動き続けているし、部屋のモニターに映し出されている現在地もレース予定地と思われたパラダイスベイを通り過ぎて別の場所を探しているように見える。パラダイスベイは南極観光の中でも素晴らしい景色の場所まさに「パラダイス」らしいため、そこを通過してしまうのはとても残念。ラウンジに様子を見に上がってみると外は吹雪。雪の量は少ないが風が強くゾディアックで上陸できる雰囲気ではない。

船はドゥメール島(Doumer)に到達したが相変わらず天候は荒れ模様。放送が入りラウンジに集合してブリーフィングがおこなわれる。モニターに現在の天候の状況が映し出され当分天気の回復が見込めそうにないことが見て取れる。この辺一帯は悪天候であること、別の場所に移動しつつ天気の回復を待ってみるらしいことはわかった。もしかしたらレースはおこなわれずに終了してしまうかもしれない。
 
レースの結果のほうを考えてみると自分は4位で3位のアンナ・マリーとは約7km差。5位とは約4km差。3位に追いつく可能性を残すには予定の8時間のレースがフルにおこなわれる必要がある。ただ8時間は自分の得意な(安全な)競技時間を少しだけ超えているため、もしも何かトラブルがあれば5位と入れ替わる可能性もある。そのため結果だけを考えるならば今日は走らずに終わってしまうか、5位に追いつかれる可能性がないくらい短縮された時間で実施されるのが安全ではある。少しだけ「ラッキー」と思った消極的な自分が嫌だが、ここまで来たら「男子3位の楯を持ち帰りたい!」という強い想いの表れでもある。それでもやっぱり最後はみんなで全力で走って終わりたいかな。
 
船は再び動き始めネコ湾の方角へ戻っていきダンコ島(Danko)に到着した。曇っているものの天候は穏やかになってきている。16時からブリーフィングがおこなわれ最終ステージ開催決定!これで南極に上陸してお別れすることができる。わずかに開催される望みを持ってウェアの準備もできている状態、テーピングもしっかりした状態でいたため、すぐにゾディアックに乗って17時ごろ上陸。午前中に比べれば相当ましな天気ではあるものの雪が少し降っているし風もあり寒い。今日はレインウェア上下を着て走ることにした。
 
競技時間は17時30分から20時30分まで。または1位のビンセントが総距離200kmを超えるまでとなった。今日は1周1.6kmのコースのため11周17.6kmでビンセントが200kmに到達する。その距離なら20時30分まで走ることはないだろう。ビンセント以下の集団は実力差がほとんどないため2~3時間では周回差はつかない。そのため順位は確定したようなものだ。
 
最後のステージは男女チャンピオン2人の走りを後ろから眺めながら走る。この2人は2012年の1年間でアタカマ・ゴビ・サハラを全て優勝し南極にやってきた完全チャンピオンである。チャンピオン2人ビンセントとアンナ・マリーを含む4人の集団で抜かしたり競り合うわけでもなく一塊になって走る。2位のマイケルだけは先に行ってしまったけれど・・・。
 
周回差で道を譲ってくれる選手達と声を掛け合い、ときどきコース上に入り込んでくるペンギンが通過するのを笑いながら待ったり、南極を走るという不思議な体験ができていることに感謝しながら最後の時間をかみしめる。1周ごとに終わりが近づいて来るのが残念で仕方がなかった。武石さんが大きな日の丸を掲げて走っている。みんな終わりたくないという気持ちはあるだろう。ついにスタッフから「ラスト1周」のコール。この周回が終わるとビンセントの総距離が200kmを超えレースは終了する。
 
最後はフィニッシュラインの前で一度止まって1人ずつゆっくりフィニッシュし完走メダルをかけてもらう。この瞬間私の砂漠レースチャレンジは完結した。最終ステージが中止にならず走って終われて本当によかった。この後は砂漠レースの中で私が最も好きな時間。選手同士ゴールを迎えてお互いを称え合う。オリビエと「今日走れて良かったー」と言葉を交わし、アリと手を取り合って「イエーイ!」とジャンプ!他の砂漠レースと異なりレース中も船でおいしい食事をしベッドで寝ていたため、厳しい環境から解放されたような喜びはないが、砂漠シリーズの最終戦これまでたどってきた道のりを思うとまた格別なものだった。笑顔が爆発している選手達、南極の風景を眺めながら「今までよくがんばったな」と振り返った。
 
船に戻ってからは全てが終わった解放感でいっぱい。順位も総合4位、男子3位なので表彰対象のはず。いつも「いいなあ、あそこに立ちたいなあ」と思っていた砂漠レースの表彰に立つことができるのかと思うとわくわくして仕方がないが、実は表彰対象ではなかったということがあるといけないので、なるべく考えないように!

寝る前にふと思い立ってコンパス(磁石)と携帯電話(iPhone)の電子コンパスがどのような方角を指すか確認してみる。これはfacebookで「こういう実験をしてみてもらえませんか?」とリクエストいただいたもの。極地に近い南緯64度でそれぞれ変化が現れるか?と思ったが両方とのきれいに同じ方向を指し普通に使えている感じ。ちょっと残念?。
 

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今日は予定では午前と午後で上陸場所を変えて数時間ずつ走ることになっている。6時過ぎから朝食にしてレースの準備をする。膝に多少痛みが出ているが他の選手も同じような状態だろう。風もなく落ち着いた天気で予定通りレースができそうな気がする。ブリーフィングの時間8時30分にラウンジに集合したがなかなか始まらない。船の周りにシャチの群れが現れた。集合した選手たちも喜んでアウトデッキに出てシャチの写真を撮ったりしている。レースがおこなわれる雰囲気はなくすっかりシャチの鑑賞会になってしまった。船はシャチを観察しやすいように向きを変えたりエンジンを止めたりする。船にはレースに参加している選手の他に普通の観光客もいるのでレースをこなすことよりもこういうイベントが優先になるようだ。選手にとってもここでしか見ることのできないものはレースよりも優先されていいと思う。
 
けっきょく10時過ぎまでシャチを見てからクーバ―ビル島へ向かう。もともとはここで午前中のレースがおこなわれるはずだったが滞在時間が短くなったため、レースはおこなわずに少し上陸してペンギンのコロニーを見るということになった。一昨日ミケルセン湾でさんざんペンギンを見たので見飽きた感もあり。上陸時間はわずかな時間で帰りのゾディアックで周辺の氷山を見て回る。ブルーアイスと言われる氷山の色は見事の一言。不思議な色をしている。ゾディアックに同乗している人が南極の氷河の壁をバックにゾディアックの縁で腕立て伏せ。みんな「南極で○○した」というネタを作りたくて一生懸命だ(笑)船のラウンジでも競い合って腕立てや腹筋するのがはやっているし外国人の楽しいツボってよくわからない。
 
船に戻ってから今度こそレースの準備。船は次の目的地ネコ湾に向かう。ひろっちから「順位4位になっていましたよ」と言われ順位の確認に行く。まずは5位集団から抜け出すことと考えていたが一気に4位も抜かして単独4位になっていた。走っている間はあまり上位の選手の姿に気がつかなかったのだが、1位のビンセント以外の全ての選手に周回差を付けていて、4位だった選手には3周差をつけて1日目の遅れをひっくり返していた。ビンセントが同じ周回、マイケルが1周差で踏みとどまっただけで(脚引き摺っているように見えたけど大丈夫だったのか)それ以外の上位メンバーには2周以上の差を付けた。これは予想以上の結果というかかなり満足。オリビエとは3周差ついたけどやっぱり調子悪いのかな。昨日はレースに集中できていたようで振り返っても1日がすごく短かったように感じる。こういうのを「ゾーンに入った」と言うのだろうか。
 
ネコ湾には15時過ぎに上陸。今夜は船に泊まるのではなくレース後に船でディナーをしてから再上陸してテント泊するとのことでレースの終了は少し早めの18時に設定されている。そのため16時スタート、18時フィニッシュというショートレースになった。スタート地点に誘導されると、まだコース設定の真っ最中。ネコ湾を見下ろす山の中腹からスタートして真っ直ぐ急斜面を登り、折り返して真っ直ぐ下ってくる登りと下りのみのループを回る。距離は1.25kmという小さなものだが競技時間2時間では先頭集団内での周回差はつかないだろう。

美絵さんが昨日私がダウンしたときに上着を貸してくれた選手がいるからお礼言いにいったほうがいいよとどの人か教えてくれた。何しろ自分は船に戻るときに何を着ていたか、誰といたかも覚えていないので・・・。自分のウェアかひろっちのウェアを着ていると思っていたけど他にも貸してくれた人がいたんですね。すぐにその選手のところに行って「昨日レース後に私が倒れたときに上着を貸してくれてありがとう」とお礼を言う(倒れてってよくわからなかったので倒れる身振りでw)。その選手(年配の男性)は「気にするな。いい走りだったね」と握手した。
 
スタート直後から先頭集団は無視。膝が痛いので登りも下りも小さな歩幅で軽く足を進める。ひろっちと2人になり下りで離され登りで追いつくを繰り返す。登りでは先頭集団との距離を確認。1周差までなら付けられてもよいが、それ以上は嫌なので後ろに迫ってきたら逃げるつもりだ。5位とも3kmちょっとの差なので1周差付けられても単独4位は守ったまま最終日の決戦ということになる。17時22分の周回で「残り1周かな」と言われるが終了は18時なのでまだまだいけるはず。選手の立場からすれば競技に影響を与えかねない不用意な発言はやめてほしい。あと何周できるか見積もるために少し力を入れて1周のラップを取る。登り8分、下り3分で1周し「あと3周行けますね」と確認を取る。せっかくペースを上げたので残り30分はそのままのペースで行ってしまうことにする。
 
風もなく暖かいため(気温5℃という話)汗を多くかきサングラスを外す。登り切ったところで武石さんと韓国選手達が座って飲み物を飲んでくつろいでいる。韓国のユニくんが「オレンジジュース!」と飲み物を差し出してくれたので飲む。おいしい!「もう一周!」と声援を受けて下り斜面へ。ユニくんは韓国の学生で人なつっこい笑顔でレース中にすれ違うといつも応援してくれる。実は韓国ではなかなかの有名人らしい。(何で有名だったんだっけ?)
 
18時が迫り次に行かせてもらえるか止められるか微妙なタイミング。駆け下りながらベースキャンプを見ると先頭集団が登り始めたところ。差はだいぶ詰まっているので行かせてもらえそう。「最後の1周」と声をかけられ最終ラップへ。ペースを落として写真を撮りながら斜面を登って振り返ると後ろには数人しか登ってきていない。制限時間前でも次の周回に入った場合に制限時間を大きく超えてしまいそうな場合はストップされてしまうため私がぎりぎりの通過だったようだ。この力加減は難しい。運なのか、あとはスタッフの印象度も影響していると思う(強い選手であるか)。
 
最後の下りでは日本&韓国のメンバーがビニールシートを敷いて斜面を滑り遊んでいた。最後の周回は結果に影響しないため一緒に遊んでしまう。スタッフの立場からしたら早く戻ってこいというところだが。ひろっちが斜面をダッシュしてダイブする写真を撮りたいというので写真撮影。ひろっちは全力でダイブしたが鼻から出血していた。自分はぎりぎりで次の周回に入れてもらったこともあって真面目を装って先にフィニッシュへ。

フィニッシュラインで遊び組みを出迎える。今日は先頭集団には一切姿を見せずに成績だけは先頭集団と同じという理想的な展開だった。上位メンバーが「あいつどこに消えた?」とか思っていてくれるとおもしろい。後は明日の最終ステージに予定されている8時間で決戦だ!帰りのゾディアックに乗り込むとき何人かの選手が服を脱いで海に飛び込んで全力で岸に駆け戻ってくるという変な遊びをしていた(笑)
 
ディナーはバーベキュー。船後部のアウトデッキにテーブルと椅子が用意され食べ物を受け取る。調理は船の中でして外では保温程度のようだった。外で食べている人もいたが会場はいつものレストランに直結しているため食べ物だけ外で受け取って中で食べている人も多数。目の前にネコ湾の氷河の壁がそびえていて壮観だがさすがに寒いし食べ物がすぐに冷たくなってしまうため中で食べることを選択。レストランにもパーティっぽい演出をしたかったのか、ところどころに風船がふわふわと浮いている。それにしても中で調理して外に運ばれたものを受け取って中で食べているってなんだか微妙。まあこれも「南極で○○しました」というネタ作りなんだろうな。キャンプもそうだし。
 
20121128_4.jpgディナーの後キャンプのため再上陸。寝に行くだけなので防寒着さえ余裕があれば他に準備するものはない。宍戸さんは宴会をしたかったらしくワイン持参。ほとんどの人はめんどくさそうだった。上陸してから少し雪が降り始めたら「船に帰れる?」と喜びだす始末。しかし無情にもキャンプはそのまま実施された。説明があり貸し出されるテントで寝てもいいし、シュラフカバー(防水処理)があればテントに入らず雪の上で寝てもいいという。少しでも快適に寝て明日に備えたいのでテント泊を選択。4人1組でテントを割り振られる。自分とひろっちとあとどこの国の人かわからない2人組。
 
テントは袋に入った状態で渡され自分たちで組み立てる。自分は多少のテント泊経験はあるものの持っているのはシンプルにドーム型ツェルトなので、しっかりしたテントはほとんど扱ったことがない。もう1組の2人組もテントに詳しいわけでもなく、その上自分やひろっちと同様に英語も不得意な感じ。お互いに無言でジェスチャーのみで「あーでもない、こーでもない」してテントを建てていく。テントができあがったら荷物を放り込んでシュラフを広げ寝る・・・って「自己紹介もせずに寝ちゃうの?」とひろっちに言ったが、あちらの2人も面倒くさそうなので寝る(笑)
 
 
20121127_1.jpg20121127_2.jpg20121127_3.jpg







4時ごろ朝日がまぶしくて目が覚める。今日は偶然部屋の窓が向いている方角が日の出になったようだ。相変わらず夜は夕焼け時に寝て朝起きると普通に昼間になっているため、寝ている間に暗くなっているのかいつ頃から明るくなるのかわかっていないが、少なくとも4時ごろは地平線近くに太陽があることはわかった。起きるには早すぎるため布団の中に潜り込んで寝る。6時に起きて朝食へ。いつも通りビュッフェ。ベーコンやハムはしょっぱくておいしくないのでカットフルーツを山盛り食べる。ビュッフェに置かれている小さくカットされたフルーツはスイカの割合が多いがなるべく他のフルーツを多く取るように狙ってスイカばかりにならないようにする。フルーツはどんな体調でもおいしく食べることができる。それにパンとシリアル、スクランブルエッグ、オレンジジュースという感じ。
 
朝食後にアウトデッキに行ってみると良く晴れているがとても寒い。体には当然疲れは残っているが他の砂漠レースに比べれば本当に楽だ。レストランでおいしい食事をして(多少好みに合わなくても砂漠で自炊に比べれば天国である)空調の効いた部屋でベッドで眠り、ラウンジに行けばいつでもコーヒーやお茶を飲むことができビスケットが置いてある。9時30分からブリーフィングをおこない、10時にゾディアックに乗船開始というスケジュールが伝えられたため早めに準備開始して8時30分には準備完了。おそらく20時までは走るため今日も8~9時間ほど走ることになる。念のため胃薬のタケプロン30を半分だけ飲んでおく。
 
ふと思いついて、隣の部屋にいるレバノンのアリ選手に出国前に作成したオリジナルTシャツ(Adventure Runner's Club)をプレゼントしに行く。このTシャツは世界を走る冒険ランナーというコンセプトで企画作成したもの。アタカマ砂漠のレースでNHKの取材班がアリ選手の取材をしたつながりで、その後のゴビ砂漠のレースやFacebookで何かと気軽に話しかけてくれた友人へのお礼の気持ち。アリは驚いた表情でとても喜んでくれた。
 
しばらくして「ごごごごご・・・」と船に轟音が鳴り響く。だいぶ聞き慣れてきた錨を降ろす音。船が目的地に到着したことを意味していて「レースが始まるのか」と緊張感が高まる(別の言い方をすれば気が重くなる?)。手慣れた手順でゾディアックに乗り込み上陸。日を追う毎に上陸手順に慣れてきてスタッフも事前の注意などをしなくなってきたため全体的に行動が早い。
 
天候は晴れ。空と海の青、陸地と山の白がまぶしい。南極できれいに晴れる日は少なく貴重らしいのだが、今回の自分たちはかなりラッキーなのか。昨日はレースは中止になったものの晴れている中で上陸できたし1日中天気が悪いということがない。上陸したら踏み後をたどってベースキャンプへ向かうように指示されたが踏み後は緩やかな斜面をずっと登っていき丘の向こうに消えている。ゾディアックを着けた海岸からけっこう離れていそうだ。景色が抜群にいいので写真を撮りながらのんびり歩いて行く。
 
スタートになるベースキャンプは緩やかな坂の向こう側の少し窪んだところ。その向こうには急斜面の尾根がありレースのコースはそこを登っていくようだ。今日は少し風があるものの日差しが強く暖かく感じるため1日目よりも薄着で走ることにした。もちろん義務装備でもあるアウターのレインウェアはザックに入れていくのだが、スタート時には着用せず「ファイントラックメッシュ+ロングスリーブ(キャプリーン3)」という南極のイメージからすれば相当の薄着。しかし1日目のキングジョージ島では、この組み合わせの上にレインウェアを着ると向かい風区間以外では暑く感じ汗がたくさん出たため、しっかり走れていればアウターはいらないような気がする。シューズは雪が深いと読んでゴアテックスのトレイルランニングシューズ。初日の軽量重視のシューズよりも防寒・安定性に優れる。あまりに天気が良く景色も素晴らしいためか、今日はスタート前に選手&スタッフの集合写真撮影がおこなわれた。
 
レースは11時30分にスタート、終了は20時の8時間30分のレースになった。私は薄着作戦で日差しあり風なしで快適に走れる服装。一方先頭集団のみなさんはステージ1と同様にアウターまで着込んだ状態。1人だけ赤パンツのマイケルだけはサッカーのユニフォームみたいなものを着てかなりの薄着である。レース序盤は後方からスタート。コースの雪の状況を見るのと前半はそこそこ高低差のある登りが見えているため前の人の踏み後を見ていったほうがいい。
 
今日は3.2kmの周回コースのため周回数が多くなる。先頭集団はおなじみのメンバーで構成され斜面を速歩きで登っていく。少し登ると方向を変え斜面を横切るように少しずつ登っていく。最後に少し急になり尾根の上に登り切った。そこからは尾根に沿って緩やかに下り始める。走りやすいが時々雪に埋まる場所があり固そうなところを選んで走る。尾根の正面には真っ青な海が見え天気が良く気持ちがいい。海が間近に迫ったところで方向を変えて急な斜面を駆け下りる。走る時間が長いため急な下りは飛ばさずゆっくりと下る。そこからベースキャンプまでは平地に近い緩い登りと下りで柔らかい雪面が多くずぼずぼと埋まる。
 
2周目の登り。49人がほぼ1列になって付けた踏み後は多少は登りやすい感じになったかな。特に方向を変えてトラバース気味に登るところが走りやすくなってきた。少し力を入れて前を追い始める。トラバース後の短い登りも雪面が締まっていていたため小さな歩幅で走りきるようにした。尾根の上は向かい風で上着に防風のアウターを着ていないため一気に冷やされる。ちょうど登りで暖まった分が冷やされてから風があまり当たらないベースキャンプの方へ下っていくため登りできちんと動けている間はちょうどいいウェアになっているようだ。アウター着ている選手は登りでけっこう汗かくんじゃないかな。
 
3周あたりからコースの様子がつかめ走るか歩くかの判断が固まってきた。ベースキャンプ前後の比較的平坦な場所は大勢が踏み荒らして場所によっては雪に脚が沈み込む。この区間は踏み固められる気配がなく時間の経過と共にさらに荒れていきそうなため走りにくいところは歩く。前半の登り区間の前半は踏み後に従って歩き、トラバース部分は普通に走り、最後の短いしっかり登りは小さな歩幅で走る。尾根の上の緩い下りは全て走れる。
 
一度は視界に捕らえられなくなっていた先頭集団に追いつき始めた。最初に追いついたのは意外にもアンナ・マリー。1日目の飛ばしぶりから考えるとずいぶんあっさりな感じ。脚に疲労があるのか今日はストックを持って走っているが、走れないほどの急な登りは一部分なのでストックは過剰装備じゃないかなと思う。
 
すぐにオリビエら数人の男性選手には追いつくはずと思っていたがいつまでたっても見えてこない。おかしいなーと思いつつも、早く追いつくことよりも自分が8時間以上安定して走り切ることのほうが大切なので自分の走りに集中。1周が3.2kmと短いため何周したのかわからなくなってきた。1周ごとに周回チェックでカードにパンチで穴を開けてもらうのだがザックの後ろにカードを付けたため自分では見れない。時間で走っているため何周したかは重要ではないのでよいのだけど。
 
赤パンのマイケルを前方に発見。下りで少し脚を引き摺っているような気がする。マイケルの走りの勢いだとおそらく2位を走っていると思われるが他の男子選手抜かしたかわからないなー。あっさりと追いつき歩く登りで抜かす。マイケルが「今何周目だ?」と話しかけてきた。不意に話しかけられたため聞き取れず(英語そんなにわからないので心の準備が必要)、1度聞き直し今自分が何周したのかわからなくなっていたので「I don't know」と返す。マイケルはもう一度大声で「何周目だ!?」と聞いてきたがわからないものはわからん。マイケルちょっと怒ったっぽい・・・。そんなに順位気にしてたって自分のできる限りの走りをするしかないじゃん!
 
登りの最後、走れる登りでさくっとマイケルを突き放し先へ進む。しばらくするとまたもアンナ・マリーを抜かす。上位にいるアンナ・マリーに1周差付けることができた!1日目に14kmの差を付けられていたがこれであと10kmちょっと。レース時間の半分が経過したが水はスタート時に1.5リットル持った状態から1度も補給していない。薄着のウェアが当たったのか汗で水分を失っている感じがなくこの調子だと無補給で最後までいけるかもしれない。スタート時は快晴だったがだんだん曇ってきて風も強くなってきた。今日は調子いいから天気が崩れて打ち切りは嫌だなと思う。
 
ベースキャンプでチェックを受けたときに後ろを見ると1位のビンセントが入ってきた。「ついに1周差付けられてしまったかー」と思ったが、このペースなら2周までは差を付けられなさそう。最初の登りに入るところでビンセントがぴったり後ろについた「抜かすならさっさと抜かせ」と思ったが後ろについたまま抜かさない。どうせならチャンピオンの走りを後ろから見たいのだが何で手抜きしているのかなと思う。そのまま2人でぐるっと1周。単独で走るよりも緊張感持って走れるので、前に出て行かないのならビンセントを前に出さず積極的に前を走って他の上位選手に周回差を付けれるように攻めていこう。
 
ビンセントは下りと平地は速いが登りで遅れる傾向があった。手抜きをしているだけかもしれないが、特に登り終盤の緩い登りを歩いているようでそこで気配が一度消える。後ろを振り返っていないので実際どうかはわからないけれど(怖くて振り返れない)、もしかしたらアンナ・マリーやマイケルもその部分は歩いているのかもしれないな。周回ごとにそこで差を詰めれるから意外とあっさり追いついたのかもしれない。登りではあるが比較的と足場がしっかりしているので無理なく走れる感覚。これは富士登山駅伝の練習が役立っている気がする。ビンセントと2人で5周、6周と周回を重ねていく。いつまで後ろにくっついている気なのだろう。
 
今日はほんとうに体調が安定していて補給食もしっかり食べ続けることができた。競技時間の残りが1時間30分になったところで補給食がなくなってしまった。あと少しだし無補給で行けるのではないかと思いつつも明らかに空腹感がきた。ベースキャンプ付近で先頭集団の関係者が一緒になった。自分、ビンセント、マイケル、男性選手2人(片方はオリビエかな?)の5人の集団になる。食べるものがないため最後に残っていたベスパ・ハイパーを飲む。これはカロリーはないけれどラストスパートのための最後の神頼み。登りは集団のまま登ったが、尾根の上の緩い下りになると誰ともなく(少なくとも私ではない)スパート開始。そろそろベースキャンプの通過時に「レースはここまで」とストップがかかってもおかしくない時間帯に入っているため上位を狙う選手はぎりぎりで切られることのないように先を急ぐということだろう。
 
ハンガーノック気味で力が出ず4人から少し遅れてベースキャンプ通過。19時33分「最後の1周」と言われる。先頭集団のペースが落ちる。「最後の1周」になったためここから先はゆっくりでも成績に差はつかない。気が抜けたためか視界がぐるぐる回りチカチカと星が飛んでいる。完全にハンガーノック。残り3kmほどベースキャンプまで行けば終わりだが苦しい状況になってきた。後ろから声をかけられひろっちが追いついてきた。2人で話しながら進めば少しは気が紛れるかなと尾根の上の下りを走り始めるが脚が前に出ない。先頭集団はとっくに姿が見えなくなっている。
 
今日はまったく脚を止めることなく走ってきたのに最後の最後で下りも走れずふらふらと歩き続ける状態になった。最後の1周に入ってからで助かった。苦しみながらなんとかフィニッシュ。スタッフをしている近藤さんに「今日の1位だよ」と言われる。「ビンセントに1周差付けられているでしょ」と言ったが周回数はビンセントと一緒だと言う。そうだとすれば、おそらくベースキャンプで補給のために脚を止めた時間がありその間に抜かしたのだろう。
 
自分の荷物をまとめ船に戻る準備をしていると日本人選手がみんな戻ってきたので「ハンガーノックでやばい」と言うと美絵さんがパワージェルグミ(だったっけ?)を分けてくれた。しかし急速に体から力が抜けていく。自分で発熱できなくなってきたのか体の震えが止まらない。本当にやばそうなことに気がついたのかみんなが手分けして上着を着せてくれたり荷物をまとめたりしてくれている。ここからは記憶が断片的です(笑)

ベースキャンプからゾディアックに乗り込む場所までは少し距離があり歩いて行く。気がつくと左肩を武石さんに、右肩をひろっちに支えられ運ばれている。近くを美絵さんが歩いているが妙に大きい荷物を抱えている。あー俺の荷物持っているのか・・・。申し訳ないと思いつつも何もできないのでおとなしく運ばれていく。
 
ゾディアックから船に上がり最後の力を振り絞って部屋へ。とにかく体温を上げなければいけない。シャワーに入り思い切りお湯を熱くして浴びるが震えが止まらない。そのころ私の荷物を持って船に上がった美絵さんはスタッフに私のチェックカードを渡さなければならず荷物のどこにカードがあるのか奮闘していたらしい(スミマセン)。ひらすら熱いシャワーを浴び続ける。その間にも部屋には繰り返しスタッフが「彼は大丈夫か?」と尋ねてきて英語のわからないひろっちは大変だったらしい(スマン)。どうにか震えが収まってきたためざっと体を拭いてベッドに潜り込む。一瞬で意識はブラックアウト。
 
目が覚めると午前2時。すでに外は明るくなっている。暗くなる時間ってないんだなー。空腹なのと朝からまたレースがあるかもしれないためそのまま寝てしまうわけにはいかない。簡単に荷物を整理し、夕食にしようとひろっちと物々交換でもらったカップラーメンを探す。見つからなかったのでひろっちの荷物を漁ってそこからカップラーメンを1ついただく(爆)ラウンジに行って夕食。ここにくればいつでもコーヒー、お茶、お湯を飲むことができクッキーも置いてあるのでとても助かる。カップラーメンにお湯を入れて、コーヒーに砂糖をたっぷり入れて何杯も飲む。暖かい飲み物が体に染み渡る感覚。生きてて良かったー♪3時ごろ再度就寝。
 
 
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