忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

20121126_1.jpg20121126_2.jpg20121126_3.jpg






(写真1)デセプション島に上陸できず、さらに南へ向かう。
(写真2)ミケルセン湾のペンギンコロニーの島
(写真3)Plancius号

5時ごろ目を覚ますと外はすでに明るかった。夜24時に就寝するときには夕焼けのような空だったが明るくなるのは何時ごろなのだろう。体調は悪くないがさすがに疲労を感じる。もっとも毎日40km程度を続けて走る砂漠レースでは疲労のある状態で翌日もレースがあるのは当たり前なのだが。6時にレストランに行ってビュッフェの朝食を取る。予定通りであれば今日も8時ごろには上陸するようになるため準備を整えて7時にラウンジに行ってみる。デセプション島に到着していたためアウトデッキに出てみたところ強風で大変な感じ。その後すぐに強風のためアウトデッキに出ないように放送が入った。
 
7時30分に招集の放送が入り選手たちはラウンジに集まる。今日の予定地のデセプション島は強風のため上陸できず別の場所に向かうとのこと。もうしばらく休んでいられるのでとても嬉しい(笑)デセプション島は島全体が海底火山の外輪山になっていて海を囲んでいる地形。そのため船がわずかな隙間を通って外輪山の中に入っていくと風を防げるはず。それでも上陸できないということは、今日はレースはできないのかもしれない。ちなみにデセプション島は砂を掘ると温泉が出る場所で「南極で温泉が楽しめる」という観光地である。ただ近年は地面を掘ってはいけないというルールができ暖かいお湯に入るということはできないようだ。
 
海を見るとペンギンの群れが船と並走して泳ぎジャンプを繰り返している。デセプション島の湾から出て行くときには巨大な岩壁の間近を通過。南極は夏を迎えているといっても夏の始まりのため事前にネットで調べた感じよりも雪が多く真っ白な世界。しかし岩壁が垂直近くに切り立っているところは雪がついてなく波風に削られた荒々しい地形を見ることができる。
 
11時からペンギン勉強会をおこなうと放送が入る。南極観光船では移動中は暇なので丸1日移動の日は2回ほど南極探検の歴史などのレクチャーがおこなわれる。ほとんど英語聞き取れないしペンギンのことは知りたければ後からネットで調べてもよいので出席せず。ランチの時間になりラウンジに人が少なくなったのを見計らって大会主催者パソコンを確認しに行く。大会サイトから自分宛に来た応援メッセージの確認や現在までの順位記録を見ることができる。
 
順位は5位タイ。5位に7人が並ぶ大混戦。表彰対象の3位には昨日のコースで1周差(14km)つけられていてこれを追うのは相当きつそう。4位は半周差(7km)でここまでなら可能性はありそうかな。3位は女性のアンナ・マリーなので4位に追いつけば男子3位で表彰に届くかもしれない。まあ最も不安なロングステージをこのポジションで終えられたのは良かったかなと前向きに考える。昨日の終盤の動けなさぶりから考えたら5位タイ集団に差をつけられなくて良かった。制限時間がもっと長かったらなどと考えたら5位タイに残れたのも運が良かったと思える。まずはこの5位集団の中でトップに抜け出そう。
 
午後になり遠目にも明らかにそれとわかる巨大なペンギンのコロニーが見えてきた。ペンギンの集まっている場所は真っ白な雪面の中に茶色い塊のように見えている。午前中は曇り空で風が強かったが、いつの間にか日差しが出てきて風も穏やかになり今ならレースもできる気がする。アウトデッキに出てペンギンコロニーの写真を望遠で撮っていると15時に偵察隊が出てレース可能か判断するという。ある程度レースの準備をしているとブリーフィングを始めると放送が入ったのでいよいよレースかとラウンジへ集合。すっかりのんびり過ごしてからの突然レースというのは正直面倒くさい(笑)
 
すると今日はレースはおこなわず、これからペンギンのコロニーに上陸するという。RacingThePlanetの選手たちと観光者と共通のアクティビティでスノーシューかシーカヤックを選びガイドについて行くようになった。正直なところレースがおこなわれずにほっとした。自分の中で競技者の要素がだいぶ薄くなっているなと感じる。私はペンギンの着ぐるみを使う機会を伺っていたのと南極の氷でかき氷もしたかったためスノーシューを選択。他の日本人メンバーもみんなスノーシュー。レースに参加している人はほとんどスノーシューを選択していたと思う。シーカヤックは艇数も限られているためあまり大勢が希望してもできそうにない。

20121126_4.jpg20121126_5.jpg20121126_6.jpg






(写真4)南極かき氷
(写真5)宍戸さん、私、ひろっち(数々の砂漠レースを共にしてきたくされ縁)
(写真6)南極シーカヤック
 
レースがあってもいいように準備をしていたのですぐに行動可能。レース用のザックは部屋に置いて防水バッグにペンギンの着ぐるみとかき氷のシロップを入れて出発。上陸地はミケルセン・ハーバーというところでジェンツーペンギンという種類がいるようだ。ペンギンのコロニーになっている場所は直径500mもないくらいの小さな島になっていて南極半島本体ではない。上陸するなりペンギンだらけ。島には木の小屋が建っていてアルゼンチンの国旗が描かれている。この島はペンギン観賞用の観光スポットとして管理されているのだろうか?ペンギンに着替えてスノーシューを装着。上陸したら自由時間のようで2~3時間は勝手にぶらぶらしていていいらしい。日差しは強くロングスリーブの上に薄いフリースのペンギンで全く寒くない。気温は10℃はあるのではないかと思う。ひろっちと武石さんもペンギンでうろうろしているので3人揃って写真を撮ったりして遊ぶ。外国人選手にもペンギンの着ぐるみは人気で一緒に写真を撮ろうと言われることも多い。外国人選手はおかしなことをして遊ぶのは好きなのに意外とこのようなお遊びグッズは持ってきていなかった。
 
そして南極かき氷。ペンギンのコロニーの島なので衛生的にはよくないだろうけど見た目は真っ白な雪だし少しくらい大丈夫だろうということで器に雪を入れてシロップをかける。そして試食・・・あまりおいしくない。おそらく雪が日中に少し解けて夜凍ってを繰り返し粒が大きくなっているのだろう。雪というよりは氷の粒を食べている感じでごりごりする。シロップを多めにかけてごまかしてみるものの早々にリタイア。とりあえず南極の氷(雪?)でかき氷をしたということでよしとする。島の真ん中には丘がありそこに登ると全方位素晴らしい景色。この辺りは島がたくさんあり水路のようになっている海に乗ってきた船「Plancius」号が浮かび、水路の両側は陸地になっていて山がそびえている。山は雪と氷で真っ白で鋭く切り立っているためいかにも高山という雰囲気だが実際の標高は500m程度だろうと思う。
 
2時間ほど遊んだ後、ゾディアックに乗り込み船へ戻る。帰りは少し回り道をして海に浮かんでいる氷の中を進んだり、氷山の近くでブルーアイスを見たりして楽しんだ。陽気なガイドさんで「私のオフィスへようこそ!」とか言っておしゃべりしていたら氷の中を突き進んでいるときに「ごつ!」と重い音がしてエンジン停止。モーターを大きな氷にぶつけてしまったようだ。再始動に少し手こずっていたがなんとか復帰。
 
船に戻るとディナーの時間。昨日のレース終了後のディナーはビュッフェだったが今日は肉か魚か聞かれる普通のディナーだった。宍戸さんが同室のオリビエは3位を目指しているようだと話をしていた。オリビエはサハラ・レースで4位になっったくらいの強いランナーなので当然狙ってくるだろう。オリビエも初日に失速していて5位タイで並んでいるが、膝に古傷を抱えていて調子が良くないらしく、初日は失速の後痛み止めを飲んでレースに復帰していたようだ。表彰を目指すのであれば上に4人いるという他にオリビエがどこまで上げてくるかというのも気になってしまうが、やれることは自分のベストを尽くすしかないし、とにかく5位集団から抜け出して単独5位になることからだ。それはオリビエに勝つということになってしまうのだが。
 
明日のスケジュールが張り出されていたので確認すると、午前10時から午後8時まで10時間ほど走るスケジュールになっていた。南極レースはちょっとしたことでスケジュールが変わるためスタートが遅れる可能性が高いが(少なくとも早くはならない)それでも最悪?10時間走ることを想定しておかなければならず「できればそんなに走りたくないなあ」と思った。23時に就寝。外にはきれいな夕焼けが見えていた。
 
 
PR
20121125_1.JPG20121125_2.JPG20121125_3.JPG







雪の上を走る夢を見た。調子は良さそうだ。5時ごろ起きて窓の外を見ると2日ぶりの陸地キングジョージ島が見える。キングジョージ島は事前に調べた感じだと雪は少なくレースも土や石の上を走る感じかと思っていたが雪で真っ白になっている。朝食の後で胃薬(タケプロン30)を飲んでおく。予定通りならば今日は12時間で100km近く走ることになるため胃のダメージに弱い自分にとってはいきなりの正念場。今日をうまく乗り切れば残りはそこまで長時間走る日はないはずなので胃薬を使うのは今日だけだろう。ラウンジに集合してブリーフィングと装備の計量。自分の荷物は水1.5リットルを入れて5kg。「軽い!」と言われるが何事もなくパス。あまりに軽いと指定装備を満たしているか確認されるのだが、スタッフの持っているチェックシートを覗き込んでも最軽量の部類なのに確認されなかった。速い選手と認識されていると軽くて当然という感じなのだろうか。
 
上陸するための小型船ゾディアックに乗るためデッキに下りる。ゾディアックはラフトボートにエンジンを付けたような船だ。南極に上陸するときと船に帰ってくるときはレンタルされた長靴を履き毎回消毒液に浸けてブラシでこすることになっている。南極によその植物や土を持ち込まないためと、帰ってくるときは衛生面だろうか?または同じ南極でも別の場所の土が移動するようなことがあってはいけないのかもしれない。ゾディアックにはビブ番号順に10人くらいずつ乗って行くが3便目くらいから準備ができた順に適当に乗り込んでいった。自分、美絵さん、ひろっち(佐藤くん)、村上さん夫妻が同じゾディアックに乗って行く。
 
上陸すると地面が見えている場所も一部あるものの一面雪。南極らしい景色だが全部雪だと100kmも走るのは大変そうだ。曇り空だが気温はマイナス2℃とあまり寒くない。昼になれば0℃以上になり雪が緩んでくるだろう。軽く走ってみると表面は固く締まっていて走りやすいがクラストなので表面を踏み抜くとズボッと埋まる。上陸時にはレースで背負うザックの他に防水バッグを持って行き、その中に大会側から指定された荷物の他に予備の装備を入れておくことができる。基本的にスタートしてしまったらフィニッシュするまで防水バッグへの荷物の出し入れはできなくなるが、少し余分にウェアなどを入れて上陸し現場の様子を見て多少の装備の入れ替えをすることができる。今日は特別ルールで13時から14時がランチの時間になっていて、その間は防水バッグにアクセスすることができスタッフにお湯をもらうことができる。そのためカップラーメンを用意している選手もいたが、ランチの間もレースの時間は動いたままのため私はランチはせずに持っている荷物のみで最後まで走ることにしている。
 
ウェアはファイントラックメッシュのアンダーウェア、少し厚手のロングスリーブ(キャプリーン3)、ゴアテックスレインウェアの3枚を着て走ることにした。体が温まったらレインウェアは袖をまくったり脱いだりして調節する。シューズはトレイルランニング用の軽量シューズ(Salomon Speedcross3 26.5cm)、靴下はメッシュソックスと薄手の防水ソックス(SealSkinz Water Proof Socks)。シューズは軽量シューズの他にゴアテックスの安定性重視のものを持ってきている(シングルトラック 2 GTX XCR 27.5cm)。今日は雪が少ないキングジョージ島で時間が長いため防寒には弱いが軽いシューズを選択。思ったよりもしっかり雪があるのでどうかなと思うが明日以降は南下しながらレースをおこない雪が多くなっていくことが予想されるため軽量シューズを使うとすれば今日しかないだろう。
 
準備も整い8時20分レーススタート。まずは先頭集団へ。今日の作戦は突っ込み気味。南極レースは必ず走らなければいけない距離が決まってなく、制限時間内にどのくらい走れたかで順位が決まるためリスクを取りやすい。今日のレースは12時間・100kmと大会側の情報が出ているが、1位の選手を想定した目安である。あらかじめ調べておいた自分の順当なポジションは6番手くらい。南極レースは4Desertsシリーズの砂漠レースを2レース以上走っていないと出場できないため調べれば各選手の実力がだいたいわかってしまうのだ。しかし自分は暑さに弱い傾向があるため、寒い南極のレースでは他のレースでやや力が上の選手と互角に走れる可能性が高い。今回の出場者だと4Desertsシリーズ全て優勝で来ているビンセントは圧倒的な実力を持っているが、2位以降8位くらいまでは接戦になることが予想される。この2位集団の中から少しでも上に抜け出し3位以内で表彰台が目標だ。順当なポジションが6番手といって普通にやったら勝負せずに順当な順位になってしまう。
 
スタートして少ししたところでペンギンがお腹で滑ってすぐ横を通り過ぎていって驚いた。写真撮りたいとも思ったがスタートしてすぐに出会うくらいだから、この先また出会うだろう。最初は予想通り6~7人の集団で進む。予想外なのはビンセントがおとなしく集団の中で走っていること。少しずつ集団はばらけて行きビンセントと女子トップのアン・マリーが第一集団。アンナ・マリーは女性ではあるが過去のレースでは男性の上位と遜色ない走りをしている実力者で性別どうこういうレベルではない。それにしても脚力は私とそう変わらないはずなのにビンセントと一緒に行ってしまうとは相当攻めているなと感じた。女子優勝で満足する気はないということだろう。そして3位で自分ともう一人の選手が並走する。すると「美しい景色だね」と日本語で話しかけてきた。この選手は荒井くんに聞いていた日本に住んでいるオリビエという選手だと気付く。去年のサハラレースで4位だった実力者。入賞を狙うなら彼と互角に走らなければいけないと緊張が走る。オリビエも当然入賞を狙っているだろうからこちらをライバルと認識したはず。
 
今日のコースは1周14kmで中間くらいにスタート・ゴールとなるベースキャンプがある。1周といってもループになっているわけではなく1本の道の両端で折り返すようになっている。ベースキャンプのそばにある基地はロシアのベリングスハウゼン基地、一方の折り返しにある基地はウルグアイのアルティガス基地だ。もう一方の折り返し地点は基地ではないが近くにチリや中国の基地もあるため、それぞれの基地を結ぶように雪上車が走った跡があり一部を除き道のようになっている。スタートから見て前半のループになるウルグアイ基地側はアップダウンがあるものの雪上車の走行跡がしっかりしていて走りやすい。もう一方の後半のループは手つかずの雪原や、一度道が作られてから雪壁が崩れて埋まってしまったような通行難易度の高い場所もある。どこまでも続く雪原と緩やかなアップダウンは「確かに南極も砂漠の一種だ」と思えるものだ。「いつかは走りたい」と思っていた夢舞台に実際に立っていることが気持ちいい。
 
選手たち(特に上位10人くらい)は折り返しで自分の順位や後ろとの差を確認することができる。1位は当然のようにビンセントが余裕の走り。続いてアンナ・マリーがやってくるが息づかいも荒く「その走りで12時間行くつもりなのか?」と驚く攻めっぷり。3番手の自分とオリビエよりもかなり先行しているが、それでもやっぱり脚力はそんなに違わないとしか思えない。
 
3周目にオリビエが遅れ始める。自分も「このまま12時間行けるとは思えないなあ」と感じ始めているものの調子はいいし行けるだけ行ってしまおうと決めた。これは南極レースのルール「時間内にどこまで走れたか」だから取れる作戦である。「時間内にどこまで走れたか」とは制限時間が来たらそこまでの距離が成績になるのではなく、終了時間を過ぎると次の周回に入れなくなるため、終了時間の少し前に次の周回に入れたのとわずかに越えて終了した人では1周分の距離差がついてしまう。そのためわずかでも前に出ておくことが重要で、実力の近い選手が遅れたというのは差を付ける絶好のチャンスなのである。
 
たんだん晴れて景色がさらに素晴らしくなってきた。時々サングラスの隙間から景色を見ると、雪の白さ、空の透き通るような青、海の深い青のコントラストが別世界を作り出している。コース上の水たまりの水が緑と青の中間色のような不思議な色をしている。ロシア基地のそばには飛行場があり巨大な貨物機が飛び立っていった。しかし気持ち良すぎる景色と反対に走っているコースは困った状態に変化しつつあった。スタート時はクラストだった雪面が緩むことは予想していたものの49人のランナーが往復で走っているため雪が踏み固められてしっかりとした道ができてくるだろうと思っていたのだが雪が耕されて走りにくくなる一方。埋まってしまい走れない場所が増えてくる。
 
直射日光があると暑い。無風(追い風)区間では汗が噴き出しレインウェアの袖とボトムの裾をまくり上げて少しでも放熱し、向かい風区間では風を受けて冷却する。アウターは脱いでしまってもいいくらいだけど、さすがに脱いでしまうと向かい風の区間は寒いだろうな。ふと気がつくと自分の後ろの選手はかなり後方でしかもオリビエの姿はない。4位に10分程度は差を付けれているだろうか。前を行くアンナ・マリーは相変わらず爆走中で追いつくどころか少しずつ差が広がっている。これほどまでに強い選手だとは思わなかった。かなり足がだるくなってきたので5周目に入ったところでペースを落とす。少しペースを緩めて気持ちまで緩んだのかどっと疲労を感じるようになり時々歩いてしまう。
 
相変わらず良く晴れているが遠くに真っ黒い雲が見える。「あの雲が早くこっちに来て天気悪くならないかな」と思う。南極レースは天候が崩れると即レースが中断されて船に引き上げることになるため、今の順位が維持できないほどパワーが落ちてきた場合はレースが中断されてしまったほうが都合がよかったりする。60kmくらいでついに後続に追いつかれる。赤いパンツを履いた長身の白髪の選手。52歳のマイケルだ。軽快な足取りで走っていくのをついて行く気にもならず見送る。胃も気持ち悪くなってきて歩き続けるのがやっとで本格的にやばい。基地がないほうの折り返し地点でついに休憩する判断。スタッフにここで休むと伝え雪の上にごろっと横になる。
 
雪の段差を利用して足を高い位置にしてしばらく横になり血行をリセットすればまたしばらくの間は普通に動けるようになることが経験的にわかっている。それにしても当たり前だが寒い!おちおち寝てもいられないのでどうしようかなーと考えていると佐藤くんがやってきた。日本人2位にいる佐藤くんにもすでに1周差つけているのだが、佐藤くんについて行って少しでも進むしかない。横になっている間に何人かには抜かされたはずで、すでに順位はわからなくなっていたが早くレース終わってくれと祈る気持ちで佐藤くんの背中を見て進み続ける。
 
ベースキャンプに到着し5周目が終わったところでトイレへ行く。気持ち悪さが収まらないので最後の手段。がんばって胃液だけでも吐き出してしまう。少ししか吐けなかったが少しましに動けるようになった。ウルグアイ基地まではゆっくりだが走る。折り返しにいたスタッフをしている近藤さんと「また胃が気持ち悪くなっちゃいましたー」と話をした後また走れなくなった。
 
ベースキャンプを通過し6周目の後半ループ。いよいよ歩くのもつらい感じ。しかし残り時間もあとわずかになっている。20時30分が終了時間になっているが足を止めなければ、20時30分よりも前に6周目を終えられそう。そうしたら7周目に入れるのか?しかし歩くのも厳しくて7周目に入れたとして行けるのか?と葛藤しながら歩く。黙々と足だけを動かし続けてベースキャンプに向かっていくとキャンプからこちらに向かってくる選手がいなくなった。まだ20時30分になっていないがもうストップさせられているのだろうか。20時20分にベースキャンプ到着。何も言われなければ7周目行ってしまえと通り過ぎようとしたらサマンサに「もう終わり」とストップかけられた。良かった!助かった!(笑)フィニッシュのチェックをしてもらいザックの背面につけた周回チェックのパンチカードを見ると1回分がカードの端のほうに穴が空いていてその周回がカウントされていなかった。周回チェックをミスしていると訴えてベースキャンプで手書きで通過時間をチェックしている紙と照合してもらい正しい周回に修正してもらった。
 
日が傾き風も強く寒い。急いで防水バッグからダウンジャケットを引っ張り出して着込む。帰りは準備ができた選手からゾディアックに乗り込んで船へ帰る。レースは20時30分までということだったが、20時30分の時点で半分くらいはすでに船に引き上げているようなので、20時30分までにもう1周できる見込みのある場合に通過させていたのかもしれない。21時ごろ船に到着。ゾディアックから船に上がり周回チェックのパンチカードを回収される。長靴を消毒してブラシでこすってから部屋へ引き上げる。
 
すぐにシャワーで体を温める。バスタブがあると嬉しいのだが船にはそんなものはない。走れなくなってから長い時間歩いていたのですっかり体が冷え切っている。今日の夕食はビュッフェで21時から22時の間に食事ができるがベッドに倒れていたら22時を過ぎてしまった。レストランに行くとわずかに残り物があるだけ。宍戸さんが戻ってきていたが21時30分ごろまでコース上にいたらしい。レストランに置いてあったリンゴを丸ごと1こ持ち帰り佐藤くんにもらったカップラーメンとりんごで夕食にする。ふと基地が近くにあると携帯の電波が入ると聞いたのを思い出しiPhoneの電源を入れると確かに電波が入った。メールで「ステージ1は撃沈した」とtwitterにメッセージを送る。寝る前にウェアを軽く洗っておく。24時ごろ外は夕焼けのような景色になっていた。南極は白夜の季節だがキングジョージ島あたりではまだ太陽はきちんと沈む。
 
 
20121206_1.jpg20121206_2.jpg






朝6時30分から朝食にする。パンとコーヒーとオレンジジュース。パンがおいしい。このパンは昨日教えてもらったパン屋から仕入れていると思う。7時30分にペリトモレノ氷河ツアーのお迎えが来るので少し早く宿のロビーへ出る。自分たちの他におじさん1人が同じ会社のツアーにいくようだ。宿の人との会話に「ウプサラ」とか聞こえてきたのでウプサラ氷河に行く別のツアーなのかな。7時30分になってもお迎えは到着せず、宿の奥さんに「こっちは時間は遅れるのが普通だから」と声をかけられる。少しくらいまったく気にしませんよ。7時30分を数分過ぎてツアー会社のマイクロバス到着。数分なんて遅れたうちに入らず。時間通りではないか。ツアーのチケット見せてバスに乗り込み出発。バスは別の宿にも寄ってお客さんをピックアップしていく。
 
街の中の交差点でバスは止まる。近くに大型の観光バスがいてバスを乗り換えるようだ。マイクロバスで宿を回って参加者を集め氷河へは大型バスで行くようになっている。街を出ると砂漠のような荒野の中の道路をバスは進む。行く先には山が見えているがまだまだ遠そうだ。カラファテからペリトモレノ氷河までは80kmほどの道のり。湖のほとりのパーキングで5分間のトイレ休憩。バスの出発時間になってもれなっちが戻ってこないのでトイレの中に向かって呼びかける。少し眠ってしまって目を覚ますとバスは止まっていて「着いたのかな?」と思うと、ここは国立公園の入口。公園の係員がバスに乗ってきて入場料100ペソを集金していく。もうバスの外の風景は荒野ではなく左手に川、右手に山で緑もきれい。進行方向をよく見ると川の上流に氷河が見え始めだんだん大きくなってきた。
 
バスは小さな展望台に寄り道。5分だけの立ち寄りですぐに出発するとのこと。ペリトモレノ氷河も全体像が見えるようになっていて周辺の雪をかぶった山々も美しい。下のほうを見下ろすと船が停泊している。おそらくあの船に乗って氷河に行くはずだ。再びバスが出発するとやはり展望台から見えた船着き場に下りていくようだ。到着するとバスにここから先のガイドをしてくれる人が乗ってきてスペイン語と英語でこの先の説明をしてくれる。とりあえず「follow me」だけはわかったので(笑)付いていく。小さな観光船に乗り込みペリトモレノ氷河へ出発。船着き場からは氷河は見えなかったが出発するとすぐに見えてくる。船のデッキは氷河を写真に撮ろうとする人でいっぱい。人と人の隙間から写真を撮るような状態だった。
 
氷河が近くなると少しずつ氷の塊が流れてくるようになる。南極のように大きなものはないが少し青みがかっているきれいな氷だ。船がペリトモレノ氷河に近づくと高く垂直に切り立った氷河先端部分の迫力がすごい。時々氷が崩れる音が聞こえるのだがどこで崩れているのかはわからず。目で見える部分で崩れれば少なくとも水面が波打つからわかるはずなのだが見えない死角の部分で崩れているようだ。地球の歩き方によるとペリトモレノ氷河は全長約35km(チリとの国境の山あたりから続く?)、先端部の幅は約5kmで、1日に平均して2m進むという。そのため暖かくなる夏場(12月~3月)には頻繁に氷河の崩落が見れるらしい。
 
船を下りるとスペイン語ガイドと英語ガイドの2グループに別れて歩く。少し先へ進むとログハウスのような休憩場所とトイレがあり、ここで氷河のミニトレッキングについて軽く説明がおこなわれた。ここには売店はなく雨風を凌ぐことのできる建物とトイレである。昼食は各自で用意してこなければならない。手袋を持ってこなかったので貸出用の軍手を借りてトレッキング開始。
 
最初は森の中の普通のトレイルで木々の間から氷河が見える。しばらく歩くと氷河の湖のほとりに出て視界いっぱいに氷河が広がる。写真を撮りながら湖沿いを進んでいよいよ氷河のすぐ脇に到着。ここには小さな小屋・・・というよりは腰掛けられるベンチとちょっとした屋根があり、鉄製のアイゼンがたくさん置いてある。登山用品店で売られているような高級なアイゼンではなく、いかにも”鉄”という感じの無骨な代物だ。どうやって装着するのかと手に取って自分で付けれるか試みたがよくわからない。このアイゼンはガイドさんが1人1人に付けてくれるようになっていて順番待ち。
 
アイゼンをしっかりと付けてもらい。氷河の上に足を踏み出します。岩と土の地面から白い場所に踏み出したときは、最初は岩の上に雪か氷があって少しずつ完全な氷になっていくのかと思いましたが、いきなり岩から氷に変わりました。表面は雪のように見えていますが完全に氷です。南極では氷の上にしっかり雪があったためアイゼンは不要でしたが、ペリトモレノ氷河はしっかり氷のため確かにアイゼンが必要です。氷河の上は踏み後をたどって1列で歩きます。歩く間はポケットに手を入れたりしないこと、立ち止まって写真を撮ったりしないことを注意されました。歩くときは滑ったり滑落したりしないように歩くことに集中しますが、ときどきまとまった人数が立ち止まれる場所で止まって写真撮影タイムがあります。氷河の裂け目は青く輝き、場所によっては氷河が解けて流れ出した水が川となり氷河に深い穴を作って滝のように流れ落ちています。青い氷河(ブルーアイス)は南極でもたくさん見たが、氷の塊が波長の短い光を強く反射するから青く見えるとか理屈でわかってもなお不思議な色を出している。
 
氷河のトレッキングツアーは何グループかいて中には氷河の山の上の方まで行っているグループもある。上のほうに行くのは「Big Ice」のツアーだろう。参加しているミニトレッキングは最初は氷河を登って行き、ぐるっとループを描くようにコースを取って下り始める。歩くのは1時間程度と聞いていたのでもう戻る感じかなと思うが1時間で十分楽しめたかな。それ以上歩いていても飽きてしまいそう。スタート地点の近くまで戻ってきたところに木のテーブルが置いてあり、そこで氷河の氷でウィスキーを飲むサービス。ガイドさんがピッケルで凍りを砕いて並べたグラスに氷をばらまきウィスキーを注ぐ。お酒が好きな人には最高なのだろうが私はお酒が好きではないので(飲めない)一口だけ。残りはれなっちに飲んでもらう。彼女はお酒大好きなのでウィスキーのグラスをかざして氷河をバックに写真を撮ったり実に楽しそうだ。
 
トレッキングは終了しアイゼンを外し森のトレイルを歩いて船着き場のほうへ戻る。途中で何度か「どーん!」という氷河の崩れる音を聞くが崩れているのは見えない。思ったよりも頻繁に崩れる音がして氷河が生きているという感じがする。船着き場に到着しどのグループと一緒に船に乗って行けばよいのかわからなくなってしまったため、同じグループで氷河を歩いていたアジア系の人の後に付いていって船に乗る。するとガイドさんに「あなた達は次のグループ」と陸へ連れ戻された。ログハウスで昼食を食べながら次の船を待っていろということらしい。外にいると風が強く寒いためログハウスの中に入ると確かに来るときのバスに乗っていた人たちがいる。しばらくしてみんなが動き出したので付いていって一緒に船に乗る。
 
船は氷河のそばをゆっくり進む。時々崩れる音がするので適当に動画撮影していたら一度くらい写るのではないかと動画撮影していたら、小さいながらも崩れたのを撮影成功。船が岸に到着すると確かに来たときに乗っていたバスがいて安心する(フロントガラスにひびが入っているので判別)。バスに乗ってもうカラファテに戻るのかと思っていたらさらに先の展望台へ。先ほど船から見たよりも氷河に近く、しかも氷河よりも高い位置にあるため氷河の上がどうなっているのかをよく見ることができる。
 
展望台には植生を荒らさないように金網で作られた遊歩道が何本もあった。かなり遠くまで足を延ばせるコースもあるが、自由時間は1時間しかないため集合場所に近い遊歩道を一周する。今日のペリトモレノ氷河ツアーは、最初に遠くの展望台から見て、少しずつ近づいてトレッキングで氷河の上を歩き、船で低い位置から見て、最後に至近距離の高い展望台から氷河の上部を見て、さまざまな角度から氷河を満喫することができた。このツアーに参加して本当によかったと思う。土産物屋と売店に立ち寄りバスの出発まで少し時間に余裕があったためエンパナーダを食べる。
 
バスはカラファテへ向かう。意外と疲れていてぐっすり眠ってしまった。目を覚ますとバスはカラファテに入ったところ。バスが停車すると近くにマイクロバスが止まっていて係の人がマイクロバスに乗り換える人の名前を呼んでいく。少しずつお客さんを降ろしながらバスは街の中へと入っていく。そろそろ呼ばれるかなというところでバスは止まり、待機していたマイクロバスに乗り換えてすぐにミヤザトインに到着。このシステムはすごいと思う。無線でどこまで来ているのか連携しているんだろうけどお客さんを路上で待たせることなくマイクロバスと連携して各宿の前まで送り届けるとは。宿への帰宅は18時ちょっと前。10時間程度のツアーであった。
 
20121206_3.jpgアルゼンチンといえば肉!ということで夕食は肉料理を食べに行く。ペソが少なくなってきたので両替屋に立ち寄って300ドルを両替。明日から金・土・日とチャルテンに行くが、チャルテンはとても小さい村の上に土・日なので両替できない可能性が高いためカラファテでペソを確保しておく必要がある。肉料理を食べるお店は地球の歩き方を見ずにぶらぶら歩いてフィーリングで決めた。メニューを見ると「パタゴニアンズ・クラシック」というのを発見(128ペソ。パンはデフォルトでついてくる)。これしかない。お店の入口脇のガラス張りの部屋で丸焼きが作られていて、何かのメニューだけは奥の厨房ではなくその部屋の丸焼きを骨ごとナタでたたき切って皿に山盛りにして運ばれている。「パタゴニアンズ・クラシック」は、あの部屋から出てきそうな気がするぞ。期待通りガラス張りの部屋でナタを力一杯振り下ろして作られた肉の塊が運ばれてくる。さっそくいただくが・・・あまりおいしくない。見た目は豪快でかなり嬉しい感じだがパサパサしていてすぐに飽きてしまう。あまりきれいに食べずに噛みつきやすいところだけ大雑把に食べて終了。お腹はいっぱいになったけど飽きた。そして肉は当分いらないという気持ちになった。
 
宿に戻って地球の歩き方を見ると行ったお店が載っている。「カシミーロ・ビギュア」というお店で人気メニューは「パタゴニアンズ・クラシック」見事に当たりです。明日からのチャルテン行きの準備。ミヤザトインでチャルテンに不要な荷物は預かってくれるため最低限の荷物をパッキング。昨日と今日の宿代も支払う。1泊90ドルだが現金支払いは1割引きとのことで81ドルになった。明日から3日間はエル・チャルテンへフィッツロイに出会う旅。晴れますように!
 
20121213_1.jpg20121213_2.jpg20121213_3.jpg







ボカ地区のカミニートへ。12時ごろ出かける。宿を出るときに「今日はボカに行ってきます」と言うと「どうか気をつけて」と言われる。そんなに危険なのかよ・・・。サンタフェ通りに出て昨日とは逆方向に歩き152番のバスを探す。152番のバスは昨日行ったパレルモとボカを結ぶ観光客にとって便利な路線だ。今日行くボカは周辺に治安の悪い場所があり要注意と聞いていたため実は行く予定にしていなかった。しかし昨日の夜に宿主イツコさんから借りた本の著者一番のお勧めが「ボカ地区カミニート」だったことと、宿にいた旅人がカミニートのレストランで食事をするとタンゴのショーが観れると聞いたため注意して行くことにした。今夜はタンゴショーのチケットを買って観に行くか?とも考えていたのでカミニートで食事のついでに見れてしまえばお金もかからず都合がよい。もちろんきちんと観に行くタンゴはまた別物だろうけど「どうしても観たい」というわけでもないので。
 
152番のバスに乗りボカ地区へ向かう。地図を見て現在地と照合しながらボカへ近づく。だんだんバスの乗客は少なくなっていき間もなく到着とバスを見回すと自分とれなっち2人しか乗ってない(笑)バスは車庫みたいな建物の前で止まる。バスを降りると観光地とは思えない殺風景な風景。とりあえず海沿いの道は安全と聞いていたため目の前にある海沿いの歩道へ。すると300mほど先に観光地っぽい場所が見える。いくつかのバスはカミニートの入口まで行くようでバス停もあったが152番は少し手前までしか行かない。カミニートはそこだけ別世界のような賑わいで「あ、全然平気じゃん」と拍子抜け(危険な気配は微塵もなし、ただ普通レベルには注意)。ただし周辺の治安は特に悪いので観光客で賑わっている通りからは外れないように。
 
観光っぽい通りは中心から伸びる3本の道。それぞれ100mくらいかな。1本は両側にレストランが立ち並ぶ。レストランの前には小さいステージがありタンゴを踊っていたり、楽器を演奏したり、歌を歌ったりしている。どのお店を選んでも目の前でショーを見ることができる。お店に入らずに歩いているだけでも見れるけど食事するくらいで目の前でしっかり見れるなら食事していったほうがいい。1本はお土産物屋が並ぶ。いくつかお店を覗いてみたがやっぱりどうしてもこれを買いたいというものはない。あちこち旅に行っているうちに目が肥えてしまったのかな。もう1本は絵描きさんが絵を売っている静かな通り。絵が好きな人はいいかもしれない。「絵の写真は撮らないで」と張り紙あり。街はマラドーナの故郷らしくところどころにマラドーナの人形が飾ってあったりする。
 
今日は朝食を食べずに出てきたのでお腹も空きレストランへ。いろいろな客引きに声をかけられたが厳選したというわけでもなく何となくタイミングの合うときに声をかけてきたお店へ。ステージの正面の席に案内された。ここならがっつりショーを見れるぞ。ショーはダンサー(男女ペア)が5~10分ごとに入れ替わりながら常に何かしらおこなわれている状態。衣装も踊りもさまざまですぐには飽きない。1つの踊りの合間にダンサーがサービス精神を発揮してお客さんにステージに上がらないかと声をかけたりするのだがステージの正面で見ている自分とれなっちは格好の標的になる。しかし踊りどころか会話(英語)もままならないのにステージに上げられては大変なので必死に抵抗(笑)ダンサー4組くらい見たかな。ローテーションが1巡してダンサーも休憩のような感じになり食事も済んだので帰ることにする。お会計を待っている間にダンサーに写真撮るかと声をかけられたのでステージに上がって一緒に記念撮影。
 
お会計はピザ(35ペソくらい)、エンパナーダ×1(10ペソ)、グレープフルーツジュース×1(25ペソくらい)、ビール大で160ペソの会計が来て支払ってしまったけど、少ししてから「おかしくないか?」と気がつく。内訳を確認していなかったけど2倍近く支払ってチップ15ペソまで渡している。お店も忙しくて何を注文されたのか曖昧になっている雰囲気あったし、ぼったくられたわけではないと思うけど確認をおこたったのは旅人としては大きなミス。まあショーは楽しかったし数十ペソくらい余分に払ってなおお得感はあったけれど。ボカ地区は他に歩き回る場所もないし(治安悪いみたいだし)時間は短いけれど十分に満足したため再び152番のバスに乗って帰る。バスの降り場がよくわからないのでサン・マルティン広場で降車の扉が開いた時に他の乗客と一緒に降りてしまって10分ほど歩いて16時に宿へ帰宅。18時まで昼寝する。
 
夕食は「入り船」という和食のお店。日本人が経営しているお店で店員さんも日本語でOKだった。ひさびさの純和風なメニューでどれにしようか悩む。カラファテの寿司バーも和食だけど手に入りにくい食材の代わりにアボガドとかちょっと創作系だったので完璧な和風はこの旅行で初めて。もうすぐ帰国ですが・・・。親子丼と天ぷらも食べたい!と思ったが天ぷらは思いとどまる。やってきた親子丼はボリュームあり、それだけで十分お腹いっぱいになる。天ぷらやめておいてよかった。

20121213_4.jpg20121213_5.jpg20121213_6.jpg





 
食事の後は夜景撮影をしに7月9日通りへ夜の散歩。ブエノスアイレスに来てからはいかにも観光客という姿を避けて一眼レフカメラは持ち歩いていなかったが、注意していれば危険は感じないし、夜景を綺麗に撮るならやっぱり一眼レフカメラのほうがよいのでブエノスアイレスでの初の一眼レフカメラ撮影。ブエノスアイレス最後の夜、この旅の最後の夜をゆっくりと味わった。帰りたくないなあ・・・。
 

 
20121216_1.jpg(写真)帰宅してトロフィーとメダルをおかずに卵かけご飯を食べる。

ダラス8時8分に着陸。8時20分ごろ飛行機から降りる。成田行きのフライトは9時40分。9時20分ごろに搭乗ゲートに到着すればセーフだろう。1時間あるが普通に入国審査、税関、出国をやっていては間に合わない。飛行機を降りるときに一緒になった成田行きの日本人と一緒に入国審査へ。入国審査の交通整理をしている日本人スタッフに「乗り継ぎの時間が迫っている」と伝えると「American Airlines CONNECTION」と書かれた黄色い紙を渡され行列の先頭に行くように指示される。ダラスの入国審査は行きも別の日本人スタッフがいて「乗り継ぎ時間が迫っている人いませんか?」と聞いてまわっていた。緊急時にこういう人がいてくれるととても助かるが「日本人は英語が下手」という対策なのだろうか。
 
税関、出国も黄色い紙を見せて次々とパス。9時10分に無事に成田行きの搭乗ゲートに到着した。ここからまた13時間25分のフライト。飛行機降りていた時間は1時間ほどで24時間乗りっぱなしということになる。ダラスまでのフライトは夜だったし良く眠れたため暇をもてあますことはなかったが、続けて成田へ向かうとなるとそうそう寝てもいられない。飛行機は9時40分発で日付変更線を越えて14時5分成田着である。
 
ダラスの朝に出発するので機内は明るくても良さそうなものだが、最初に軽食が出された後は機内は明かりが消されずっと暗いまま。自分の席の照明だけ点けて読書したり旅の記録を書いたりして時間をつぶす。読書は読みたい本があって持って行ったものなので「時間をつぶす」ではなく有意義に過ごせたのかもしれない。アルゼンチンに行くときにはあまりにもよく眠れてしまってほとんど本を読めていなかった。ずっと読んでいると疲れるので休み休みで成田に到着する直前に読み終わった。もちろん13時間25分もあるフライトなので睡眠も取った。
 
成田に降り立つと気温は16度とかなり暖かい。夏から一気に冬へという変化になると思っていたが快適な気温だ。最後に心配なのは荷物。ダラスの乗り継ぎ1時間の間にスーツケースはきちんと乗っただろうか。実は家の鍵も円もスーツケースに入っていて荷物がこないと何もできないという状況になってしまっていた。無事に荷物は出てきて旅も終了。最後に成田に到着したらカレーを食べたかったのでカレーのお店に入ってビーフカレーとコーヒーフロートを食べる。
 
帰宅はバスで大宮まで行き、そこから埼京線。余分に時間がかかるような気もするが電車で都内経由だと乗り換えや座れなかったりするため一番楽そうな方法を選択した。16時45分成田発で3時間かかって自宅に到着(バス代2750円)。30日間の長い長い旅が終了した(移動のみの日が実は9日もある)。自分にとって夢の完結でもある。
 
今まで南極レースに向けて走り続けてきたが、これから先のことは白紙でありなんでもできるという目の前がぱっと開けた感覚と、当面目指すものがない(やるべきことはたくさんある)という寂しさも感じる。しかし「次の旅はウユニ(ボリビア)に行きたい」と目的地は決まっているので、それがまた日々の生活に刺激を与えてくれるのだろう。これから先どうなって行くのか、すべては自分しだい・・・。
 
20121214_1.jpg20121214_2.jpg20121214_3.jpg






(写真1)ドレーゴ広場
(写真2)大統領府(カサ・ロサーダ)
(写真3)大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)

旅の最終日。今夜の飛行機でブエノスアイレスを出発しダラス経由で日本に帰る。上野山荘ブエノスアイレス別館は14時チェックアウトだが、10時に部屋を空けて荷物だけ預かってもらうことにした。帰ってきたらシャワーを使ってよく大変助かる。帰国の飛行機は22時25分なので19時ごろエセイサ国際空港に行けばよいので18時に宿にタクシーを呼んでもらうことにした。ウシュアイアで買って残っていた切手は今日帰国すると持っていても無駄になってしまうので宿主さん(イツコさん)に「要りませんか?」と聞いたところ、これからウシュアイアに向かう他の旅行者が買ってくれた。
 
10時に宿を出発してサン・テルモ地区へ向かう。少し回り道をして最高裁判所や国会議事堂を見てサン・テルモ地区のドレーゴ広場へ。朝食を摂らずに出発してどこかのカフェで朝食と考えていたが、適当なカフェの前を通ることなくサン・テルモ地区まで歩いてしまったので疲れていた。広場の中は椅子とテーブルが置かれ一部のテーブルにはパラソルもついていて広場の周囲のお店のメニューをオーダーすることができる。広場を囲む道路の歩道には工芸品の露店が並んでいるがメインは日曜日らしい。日曜日にはどのくらいの数の露店が出るのだろう。この広場の周辺は観光ガイドによれば「タンゴ発祥の時代の街並みが残る」そうで石畳の道になっている。ドレーゴ広場で昼食にする。ハンバーガー・ポテト・飲み物のセットで56ペソ。価格はマクドナルドと同じくらいだが量はとても多く、運ばれてきたときには嬉しい気持ちになるが食べ始めると全部食べれるものではない。
 
広場にバンドがやってきてクリスマスソングの演奏を始める。ブエノスアイレスは夏を迎えていて気温は連日30度以上になるが、これが南半球のクリスマスである。広場にいた他の観光客も半袖シャツを着て汗をかいている少し変わったクリスマスを楽しんでいるようだ。広場の反対側ではタンゴショーも始まった。平日なのでお客さんは少ないが、自分達にとってはこの日しかないサン・テルモ地区訪問なのでこういったサービスは大変嬉しい。
 
ぼろぼろの服装のおじさんがテーブルにやってきて残していたポテトをくれと言う。日本で言うところの(海外でもそうかな)ホームレスだ。「どうぞ」と勧めるがおじさんは右腕が不自由で片手しか使えず持っているビニール袋にポテトをうまく移せない。手伝ってあげながらどんな顔をすればよいのかわからなかった。地面に落ちてしまったポテトまで大切に拾って袋に入れているこのおじさんも同じ人間であり、こちら側とあちら側を分けているものはほんのわずかな差でしかないように思える。自分だってあちら側の人にならないという保証はまったくない。
 
ブエノスアイレスに来てから3日間は晴天だったが今日は曇り空でぽつぽつと雨が落ちてきた。毎日あまりにも天気がよいのですっかり油断して雨具は持ってきていない。本降りになったら困るなと思っていたらしばらくして雨は止んだ。観光ガイドに載っているいくつかの教会を見て回りながらセントロ方面へ戻っていく。教会の建物自体にはそれほど感銘は受けなかった。サン・テルモ地区は特定のものを見に行くというよりは街並みを楽しみに行くところといった感じか。あとは日曜日の露店を見れると良かったかなと思う。
 
5月広場まで戻ってくると3日前に来たときに大統領府(カサ・ロサーダ)に作られていた工事の足場がなくなっている。余計な邪魔がなく全体像を見ることができてよかった。5月広場に隣接する大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)の中を見学する。アタカマのレースに出場した帰りにチリのサンチャゴで見学した大聖堂とほぼ同じ作りになっていて荘厳な雰囲気。この大聖堂は今でも教会として利用されているのだろうか。1ヶ所でだけ神父さんの入った箱(パーティション)に向かってお祈り?相談事?をしている男性の姿があった。
 
フロリダ通りでお土産がありそうな店を見つけては立ち寄る。相変わらずいまいちな土産物ばかりで「これだ」というものがない、最後の空港に気に入ったものがあることに賭けるか。値段は街で売られている2倍くらいになってしまうとは思うが。カメラが並んでいるショーケースを見つけた。ウシュアイアで買ったNikon D3100がいくらで売られているのかを見る。ウシュアイアが約6000ペソ(約102000円)に対して驚きの約8000ペソ(約136000円)。日本での実売価格は50000円程度のようなのでウシュアイアでの購入価格もへこんだけれどブエノスアイレス高すぎだ。(税率が100%でかかっているとの話)
 
16時に宿へ戻る。これで今回の旅の観光は終了し後は帰るだけになった。イツコさんが「facebookにルミさんがあなたの写真をアップしているよ」と教えてくれた。見せてもらうとウシュアイアの上野山荘でのレース後集合写真などがアップされていた。ルミさんは上野山荘(ウシュアイア)をオーナーのいつこさんに変わって管理しているアルバイト?である。ウシュアイアではレース前後にさんざんお世話になった。
 
シャワーを浴び、他の旅行者たちに「よい旅をー」と挨拶して18時に宿から出る。タクシーの中からイツコさんに力いっぱい手を振ってお別れを言う。今回の旅をリラックスして楽しめたのは上野山荘(ウシュアイア&ブエノスアイレス)の力も大きい(費用でも10ドルで1泊できてしまうのは大変助かる)。こういう日本人宿がなかったら疲れてしまったと思う。いろんな日本人の旅人にも会えたし存在自体に感謝である。正直おそらくもう一度訪れるというのは難しいだろうし(同じ費用・時間を費やせるなら別の場所へ行く)、次に会うことはない可能性のほうが高いので「またー」と挨拶できないのが辛いところ。
 
タクシーはオベリスクのある7月9日通りを通ってエセイサ国際空港へ。ラッシュアワーと重なってしまい渋滞がひどい。1時間かかって(通常なら30分程度かな)空港に到着。フライトまで3時間。チェックインしてお土産見て食事してなどしていると3時間くらいあっという間なので急いで行動する。しかしダラスへのフライトは遅れていて掲示には「Delay 0:05」の表示。元々の予定が「22:25」だったので1時間40分の遅れということになる。ダラスでのトランジットが3時間程しかないためここで遅れられるのは厳しい。
 
時間にゆとりができたのでマクドナルドで食事。それからお土産の購入。空港でのお土産の品揃えを期待していたのだが、ほとんど免税店でお土産はごくわずか。微妙なものと無難なもの(義理チョコ)を空港価格で買うという残念な結果になった。アルゼンチンペソは再びドル(または円)に両替することはできない(制限が厳しい)ため使い切る必要があるのだが、手元に残ったペソは3.75ペソ(約64円)という好成績。一部のお土産はドルで購入。遅れ予定通りに飛行機に搭乗し離陸は24時40分。あとは何時にダラスに到着するのか、1時間ちょっとで乗り換えができるのか、とても気になるがきっとなんとかなるだろう。
 

20121205_1.jpg20121205_2.jpg20121205_3.jpg






10時に上野山荘を出発。呼んでもらったタクシーに自分とれなっち、ひろっちの荷物を全て積むことができたため3人でウシュアイア空港へ行く。12時20分発のフライトで11時50分から搭乗で、小さな空港かつ国内線なのでチェックインさえしておけばすぐに乗れると思い、チェックインしてからカフェでのんびりする。11時20分にそろそろ荷物検査通過しておくかとカフェを出て2階の入口へ行くと混雑していた。しばらく並んで係員のいるところまで行き航空券を見せると「空港税を支払ってくるように」と戻される。1階に戻りアルゼンチン空港の窓口に行くと「空港税はここではない」と別の場所を指示され空港税の専用窓口があった。確かにチェックインのときに空港税の窓口の説明をされていた気がする・・・。ここでもしばらく並んで28ペソの空港税を支払い再び2階へ。荷物検査さらに大混雑している。もう搭乗開始時間直前だったため並んでいると間に合わない。そこで係員のところまで行きチケットを見せて「先に行かせてほしい」とお願いして割り込ませてもらう。ひろっちは13時すぎの飛行機でまだ余裕があるのでここでお別れ。
 
1時間25分のフライトであっという間にエル・カラファテに到着。飛行機から見た風景では街の周辺は乾燥した砂漠地帯のような感じでところどころに緑がある。大きな川の両側には木がたくさん生えて人が住んでいるようだ。大きな湖が見えたが青いような緑のような不思議な色をしていた。空港に降り立つと少し暑い。服はウシュアイア・南極対策で暖かいものを多く持っていてブエノスアイレスだけ夏の服装と思っていたが、カラファテとチャルテンもそれほど寒くないのかもしれない。
 
タクシーでミヤザトインへ。タクシー代は140ペソだったが下りるときに運転手さんに名前と連絡先を書いた用紙を渡された。帰りに同じ運転手さんを呼び、この用紙を出すと100ペソで空港まで行ってくれる。ミヤザトインは明るい茶色のきれいな建物。ペンションのような6部屋のホテルである。宿をやっているご夫婦の奥さん(エリザベスさん)が受付をしてくれた。明るく楽しい雰囲気の方だ。旦那さんが日系人(100%日本人?)で日本語が話せる。メールでやりとりしてチャルテンに行くバスのチケットとチャルテンの宿の予約までお願いしてしまっているので明日以降の動きについて確認。チャルテンから戻ってきたらまたミヤザトインに1泊するため、チャルテンに行くときは必要な荷物だけ持っていらない荷物は預かってくれる。明日行こうと思っているペリトモレノ氷河のツアーは「すぐにツアー会社の窓口に予約しに行った方がいい」とのことなのですぐに出かけることにする。人気があるため埋まってしまうことがあるらしい。街からの送迎付きのツアーに申し込むようにとアドバイスをもらう。出発するときに街の地図とおいしいパン屋の場所を教えてもらった。明日のツアーは昼食は自分で用意していく必要があるためパン屋で買っていくことにする。
 
メインストリートに向かう途中で寿司バー発見。「Sushi Bar 藤」と入口に書かれている。後で行ってみてもいいかもしれないな。ミヤザトインで教えてもらったツアー会社は「Hielo & Aventura」というところ。この会社は日本でどんなツアーがあるか調べたときにメモしておいた会社だ。中に入ると小さいがきれいなオフィス。単語を並べただけ英会話で「明日のペリトモレノ氷河のツアーに送迎付きで参加したい」と伝えると、ツアーの種類を簡単に説明してくれた。ミニトレッキングは氷河の上を1時間ほど歩き、ビッグアイスは5時間ほどトレッキングをする、それ以外に船でのクルーズもあるがこちらは氷河を近くから見るだけで歩かない。最初からミニトレッキングをすると決めていたため(ミヤザトインでもミニで十分と言われた)迷うことなくミニを申し込む。1人115ドル。ツアーのバスは宿の前まで迎えに来てくれる。
 
カラファテのメインストリート「サン・マルティン通り」を歩く。ウシュアイアもセントロのメインの道はこの名前だった(ブエノスアイレスにもある)。決まりがあるのだろうか。メインストリートにはきれいなお店が並ぶ。土産物のお店、アウトドアウェアのお店、飲食店が多い。そのほかスーパー(ウシュアイアにもあったLA)、銀行・両替、カジノなど。サン・マルティン通りから延びるいくつかの道には飲食店はあるが、そこから離れると一気に住宅地になってしまうという小さな観光の街だ。不思議なのはどの家もすごくきれいなこと。セントロから歩いて行ける範囲しか行っていないためか、塗装が剥げていたり壊れかけていたりする建物は見当たらない。しばらくセントロをぶらぶら歩いてからカフェでエンパナーダを食べて一休み。日差しは意外と暑くシャツ1枚で十分。歩き回っていると喉が渇く。
 
一度宿に戻り休憩して夕方再び出発。ウシュアイアから北上してきたため日が沈む時間は早くなるが、それでも21時過ぎまでは明るいし飲食店が活気付く時間帯は20~21時(一般的な夕食の時間)のため、18時ごろに夕方という感覚で出かけても実は現地感覚ではもう少し行動できる時間だ。宿からセントロと反対方向に10分ほど歩くとニメス湖に出る。街の住宅街から出ると風が強くなり寒い。ニメス湖は湖というよりも湿地帯という雰囲気。わずかな陸地に隔てられて巨大なアルヘンティーノ湖と隣接している。アルヘンティーノ湖のほうは今日飛行機から見た不思議な色の湖。しかし曇ってしまったためか近くに来たためか不思議な色には見えなかった。ニメス湖には遊歩道があり1周できるようになっている。入場料は35ペソ。しかし隔てるものが何もなく入らなくてもニメス湖を見渡せてしまうため中には入らなかった。
 
街の中に戻ると風もなく寒くない。ポプラがたくさん植えられているのだがこれが防風林の役割を果たしているように思う。夕食にしようとセントロに向かうがれなっちのお腹の調子が良くないので、キオスコで飲み物を買い、ミヤザトインで教えてもらったおいしいパン屋で明日のツアーに持って行く昼食のパンを買う。パンはどれもおいしそうだけど食事というよりは甘いパンが多くどれにするか悩んだ。宿に戻り夕食は南極レースの残りのアルファ米を消費する。
 
 
20121212_1.jpg20121212_2.jpg20121212_5.jpg







今日も朝はのんびり。急ぐほど予定は詰まっていない。サンタフェ通りをレコレータ地区方面へ歩く。出発早々お腹が空きマクドナルドに入る。ブエノスアイレスはマクドナルドが多く大きな通り沿いには1~2ブロックごとにあるような印象。(1ブロックは100mに整備されている)メニューは日本と全然違う。ベーグルがなくトースト1択だったので仕方なくトーストとオレンジジュースのセット(15ペソ)。食べ始めるとカウンターの上のメニューがくるっと回転してハンバーガーメニューになっていた。さっきのは朝マックだったのか。あと1~2分遅ければ通常メニューになるためベーグルの生産が終了していたらしい。時間は11時。
 
レコレータ地区の「El Ateneo」世界で2番目に美しい本屋に到着。聞いた話だと観光客が吸い込まれていくからすぐわかるとのことであったが平日のためかそんなに人は多くない。注意してこの辺のはずと歩いていたから気がついた感じ。店内は確かに美しい。本もざっと見てみたがもちろんスペイン語なのでわからず。旅行情報誌を少し見た。写真が多いものなら楽しめる。この本屋はもともとは劇場で、その後映画館になり、それから本屋になったようだ。元が劇場なのでステージがあり今はステージ上がカフェになっている。中央部は吹き抜けになっていて一番上の丸天井には絵が描かれている。天井が写真に納まりきらないので地下フロアに下りてそこから写真を撮った。2階、3階へ登ることもでき上の階にも本は並べられている。お客さんはある程度入っていてレジにも人は並んでいたが、本の点数は多くなく(しかしCDやDVDもあった)本を売るよりも美しく見せることに重点が置かれているお店かなという印象を受けた。それとも日本の大きい本屋のように膨大な量の書籍を並べるような本屋はないのかな。
 
12時ごろ本屋を出てレコレータ墓地へ向かう。ショーウィンドウのマネキンの肩紐が外れて片方の胸が出ているのを見た。これはわざと?それとも事故か?20分ほどでレコレータ墓地に到着。墓地に入るとミニチュアの家のようなものが立ち並び小さな街に入ったかのようだった。広い敷地の中央部は木が植えられ広場になっていて、そこから放射状に道が伸びている。大きい道の間には何本もの細い通路もあり迷路のようだ。とても全て見て回ってはいられない。大きな道を大雑把に歩いていると美術館のような装飾を施したお墓がたくさんある。小さな家のような墓1つが一家の墓になっていて入っている人の名前や西暦(生きていた期間)が書かれている。中には今は手入れされていないのかぼろぼろになっているものもある。
 
墓地の外壁にはロッカーのようなものがあり、こちらは個別のお墓を作らない遺骨を一括して管理・埋葬する場所のようだ。家のような墓を作らないのなら管理費がとんでもなく高そうなこの墓地でなくてもよいような気がするのだが、どのような需要なのだろうか。

エビータのお墓(大統領夫人。アルゼンチンでは人気があるらしい)を見ていくことにした。しかしどこにあるのかわからない。入口の案内図を見落としていただけなのだが、わからないので団体ツアーを尾行してエビータのお墓を発見することに成功。それにしても全体的に豪華なお墓の中でも、ひときわ目立つ豪華すぎるデザインのお墓もあり、こんなお墓に入れたらいいかもと思う。死んでしまえばどうなっても同じなのだが。自分の場合は今回の南極レースのトロフィーを墓石にしてもらおうかな。
 
墓地を出ると、学生(小学生か中学生?)が白い粉を投げ合っている。彼らの頭は白い粉で真っ白。基本的に頭を狙っているようで頭は真っ白だが、荷物や服は2次災害的に白くなっているだけである。なぜこんなに観光客の多い場所でこんな騒ぎをしているのかは謎だったが彼らは真っ白な姿のままマクドナルドに入っていった。
 
サンタフェ通りに戻りパレルモ地区を目指す。延々と同じような店・町並みが続く。最初は楽しそうな雰囲気の道だと思っていたが30分以上も同じものが続くと飽きてくる。1時間ほど歩いてようやくパレルモ駅に到着。この地区はおしゃれなカフェやお店が多い場所だと聞いてきたのだが、どのあたりのことを言っていたのか全然わからないサンタフェ通りから「この辺」と教えてもらったほうに少し入ってみたが、お店はあるものの少し古びた住宅街という感じで少なくともおしゃれではない。もっとサンタフェ通りから離れた方向に入っていけばあるのかもしれないが、歩き疲れているのと暑いのとで「おしゃれだったとしても表参道とかそういう感じだよね」という結論にして探すのをあきらめる。
 
見つけたカフェで昼食にしてからプラネタリウムを見に行くことにする。パレルモ駅(サンタフェ通り)から海側に歩くと大きな公園(2月3日公園など)があり動物園やプラネタリウムがある。このあたりはアエロパルケ空港に近く時々飛行機の離着陸の音が聞こえてくる。
 
南半球でプラネタリウムを見よう!とプラネタリウムに行く。解説は当然スペイン語なのでわからないだろうけどポインタの動きや映像で何について話をしているかはわかるはず。しかし第一の関門はチケット購入だった。17時からのチケットがほしいというだけのことなのだが、受付のおじさんはそのレベルの英語もわかってくれない。上映スケジュールの時刻表を指差しても何かを聞き返してくる(スペイン語を理解する準備をまったくせずに突撃しているこちらが悪いのだけど)。困った受付のおじさんは近くにいた別の海外観光客に声をかけて英語-スペイン語の通訳をしてもらい無事にチケット購入。親切な観光客の方ありがとう!
 
プラネタリウムの内容は「南半球の解説をするのか?」と期待していたのですが、北半球でも見える星の解説しかおこなわれませんでした。今夜見える星座の説明から入るのは日本と同じで、後半は映画のような感じで「太陽系ができるまで」みたいなお話でした。説明した星座は西の空低く見えている、いて座、やぎ座、みずがめ座、北の空に見えている、ペガスス座、おうし座、東の空低く登ってきているオリオン座、おおいぬ座といったところでした。
季節の星座などの選択もなく見えているもの全体的に説明という感じです。

カノープスや南十字星、マゼラン雲も見えているのにノータッチだったのはかなり意外です。星座のお話をするには北半球の星のほうが華があるのでしょう。設備は超新星爆発の映像が流れるときには椅子があぶるぶる震えたりとなかなかのものでした。しかし入場料は約400円(20アルゼンチンペソ)と安かったです。平日のビジネスタイムなのにお客さんもそれなりに入っていました。
 
サンタフェ通りに戻り152番のバス停(コレクティーボ)を探す。バス停は路肩の鉄柱に小さなバスの番号札が掲げられていて、そこで待っていればやってくる。バスの本数はかなり多く普通に歩いていると同じ番号のバスが次々にやってくる印象。市民の足として大活躍しているようだ。バス停に着くとすぐに152番のバスがやってきた。バス料金の支払いは紙幣ではできず硬貨のみしか使えない。よく利用する人はICカードにチャージしてバス入口の機械に読み取ってもらって乗車する。アルゼンチンでは硬貨はあまり出回っていないためICカードを使う人がほとんどのようだ。ちなみに硬貨が不足しているため一番小さなお札「2ペソ」よりも小さな金額のやりとり(お釣りなど)が発生した場合は2ペソ単位で切上げ切捨てをして清算されることがある。
 
バス料金がわからないので硬貨を投入するところに、このくらいかなと思われる量の硬貨を適当に投入。きっと余ったら下から出てくるだろう。適当なことをやっていると運転手がこちらに「Si!Si!(たぶん)」と言っている。要は「もうOK」ということか。後ろから乗ってきた地元の人が「チケットが出ている」と教えてくれた。余った硬貨が排出されると思っていた場所に小さい紙が出ていて「$2.00(2ペソ)」と書かれている。これでバス代は2ペソだとわかった。
 
後は宿のあるレティーロ地区に入ったら適当なところで降りるのみだが渋滞がひどくバスがなかなか進まない。歩いている人にちぎられていく始末。そしてとても暑い。気温は30度以上でも冷房などない。暑いバスの中でじっと立っているのも辛くなってきたので、出口が開いた隙に降りていく人に続いて降りてしまう(降車ボタンがあり押すと止まれるところで降ろしてくれるようだ)。アイスクリーム屋に立ち寄って体を冷やす。夕食は中華スーパーでインスタントラーメン(マルちゃん)と惣菜を買って宿で夕食にする。上野山荘ブエノスアイレス別館には洗濯機があるのでたまった洗濯物を洗濯してしまう。
 
他の宿泊者情報によるとボカ・ジュニアーズが優勝しオベリスクの周辺で暴動が発生したらしい。帰ってくるときにオベリスクのあたりで花火が上がっていると思ったらそういうことだったのか。確かに遠目にも歩行者天国のように車道いっぱいに人があふれているように見えた。周辺の店(バーガーキング)が破壊されたり機動隊と衝突して逮捕者が出たりと大変なことになっていて逃げ帰ってきたとのこと。(一部、宿にカメラを取りに戻って現場に駆けつけたら収束していたと残念がっている人もいた)テレビでもニュースになっていた。宿主さんによればブエノスアイレスではよくあることなのだそうだ。
 
20121211_1.jpg
7時30分、宮里インの前で写真を撮ってタクシーに乗り空港へ。飛行機は定時出発。
 
ブエノスアイレスも予定通り。アエロパルケに到着。上野山荘ブエノス別館の予約をしたときにライオンマークのシャトルバスがお勧めと連絡をもらっていたがレミースに住所を見せて一発で宿の前まで行くことにした。2人なので頭割りすればバスに比べてそれほど高いわけでもないし、安全はお金で買うのだ。10分ほど待ってレミースの運転手さん登場。空港の外の車に一緒に歩いて行く。普通のタクシーに並んでいる人もたくさんいるので「空港タクシーでも問題ないんじゃないかなー」とも思う。ブエノスアイレスでは街中で流しているタクシーはまずおかしなことにはならないとも聞いたけど空港だとどうなのかな。
 
アエロパルケから4~5kmくらいか?上野山荘ブエノスアイレス別館に到着。「上野山荘」という名前は、もともとのウシュアイアでの名前であり、ブエノスアイレスでは山ではなくセントロのとても便利なところにある。築100年のアパートの3階が宿になっていてレトロなエレベータで上がる。このエレベータは2重になっている扉を手でカラカラと開けて金属のかごのようなものに乗り込んで行き先の階のボタンを押すと動き出す。普通のエレベータと違いスムーズな加減速ではなくボタンを押すと急に動き目的の階に着くとガクッと止まる。扉をきちんと閉めないとボタンを押しても動かないため降りたら必ずしっかり扉を閉めないと次に使う人が乗り込めない。これと同じようなエレベータをエジプトのベニス細川家ホテルの建物でも見たことがあった。エジプトで見たエレベータは壊れて使われなくなっていたので動いているものに乗れて嬉しい。気温は30度くらいだが宿は風通しが良く蒸し暑い感じはしない。バルコニーも広く解放的で、これから3日間の滞在が楽しみになってくる。
 
宿の隣の建物に中華系のスーパーがあると聞き昼食を買いに行く。中華のお惣菜が100グラム3.8ペソで好きなものを選んでパックに盛り付け重さを量ってもらって金額のシールを貼ってもらう。それをレジに持っていって買うようになっていた。もちろんお惣菜以外にもいろいろなものが売られている。久しぶりの中華はとてもおいしかった。都会に来てピザ・パスタ・肉(あとエンパナーダ)のローテーションから解放された。
 
ブエノスアイレスの行動予定は特に決めていなかったが、宿に滞在している人が見所を解説してくれることになった。アルゼンチンに住んで仕事をしていてブエノスアイレスに用事があるときに上野山荘に滞在しているとのこと。観光ガイドのようなきめ細かい情報とお勧めスポットを教えてもらいブエノスアイレスでのだいたいの行動予定は決まった。ブエノスアイレスは治安が悪いと聞いていて少しびびっていたけれど、注意ポイントを押さえておけば危険ではないらしい。
 
さっそく散策に出発。スリに狙われないようにザックは持たずに手ぶら。地図とコンパスと少しの現金とコンパクトデジカメを持つ。とりあえず街の雰囲気をざっと見れればよいので早足で歩き信号は地元の人と一緒に無視。観光客だと思って舐められないように(笑)写真撮影も素早く取り出して早撃ち。まずは街の様子を知って、のんびり観光したければ後からまた来ればいい。
 
サンタフェ通り→7月9日通り→オベリスコ→5月広場(大統領府)→フロリダ通り→サン・マルティン広場→サンタフェ通りと一周する。所要時間1時間40分ほど(かなり駆け足)。街は交通量多く信号の変わるタイミングや車が走ってくる方向がよくわからないことがあり地元の人の動きを観察しながら歩く。オベリスコを中心に大きな通りが作られているためいろいろな場所からオベリスコを見ることができた。

町並みは南米のパリと言われるだけあって「町並みがきれいなところ」と教えてもらった場所はパリに似ているかもと思った。大統領府は一部工事中で工事の足場が組まれていてちょっと残念。フロリダ通りは観光客向けショッピング街と聞いていたが、新宿あたりを歩いているのとあまり変わらないか?あまり楽しそうに思えなかった。サンマルティン広場は一見日当たり良くのどかで明るい雰囲気だがスリが多いと言われる場所。むしろこっちが盗むぞくらいの態度で堂々と歩き回る。
 
少々疲れたので一度宿に戻る。給水してから「世界で2番目に美しい本屋」(ランキングがあるらしい)と言われる本屋に行こうと思っていたが、明日の午前中元気な時に行くことにして今日の行動は終了。2時間ほど昼寝をして20時30分ごろから夕食に出かける。夕食は日中に見所について解説してもらったときに教えてもらったピザ・パスタ屋。昼に中華でローテーションから解放されたと喜んだのだが、早くもピザ・パスタローテーションに戻ってしまった。しかしおいしかった。都会の味はやっぱり洗練されているのかな。
 
夕食を終えて宿に戻ると、南極レース前にウシュアイアの上野山荘で出会っていた人に再会した。しばし南極レースのお話などに華が咲く。とても嬉しい再会だった。共同スペースでPCで行動記録を書いていると隣のテーブルで南極に行くべきか悩んでいるグループがいる。「先日南極に行ってきたので写真ありますよ」と写真を見せると「あー、やっぱり行くしかない」と、とても気に入った様子。すぐにもウシュアイアに飛んでチケットの手配をするそうで、こういうバックパッカーの行動力には本当に感心する。
 
しばらく泊まっていた宿泊者で明日出発する人が多いらしく(ある者は次の目的地へ、ある者は帰国へ)夜遅くまで起きて話をしている人が多い。夜2時ごろ就寝。
 
 
20121210_2.jpg
朝6時に起きて荷物を素早くまとめる。ホテルを6時50分に出れることが目標。6時半過ぎにホテルのフロントの朝食スペースを見ると一応コーヒーのカップなどは準備されていて朝食にできそうな雰囲気。チェックインするときは朝食は7時からと言われたのだが、部屋の案内には6時30分からと書かれていたので昨日7時に出発するとフロントに伝えたことによって7時前に朝食にしたいと伝えたつもり。6時40分に部屋を引き払って荷物を持って朝食のテーブルへ。でもやっぱり基本は7時からだったようだ。ジュースと温めないパンはすぐに食べれたがコーヒーと温かいパンが出てきたのは6時55分。急いでコーヒーを流し込みお礼を言ってホテルを出発。
 
ランチョ・グランデまで歩いて数分。到着するとバスが止まっていた。カラファテ行きか確認して乗り込む。バスはすぐには出発せず7時20分ごろ動き出した。今日も天気はよい。フィッツロイが見えないかバスの外を眺めているときれいに見えている。バスがターミナルに止まったときに町の入口の看板まで行って写真を撮れるかもしれない。バスは7時22分にターミナル到着。出発予定は7時30分なので写真を撮りにいく時間はありそう。カメラだけ持って走って町の入口の看板へ(ターミナルから100mくらいしか離れていない)。急いで写真を撮って走ってバスに戻る。
 
バスは定刻に出発。町から離れてもバスの向きによっては窓の後方にフィッツロイが見えることがあり、しかも町から離れるとフィッツロイの周辺の山も全て見えるため素晴らしい。カメラをいつでも撮影できるようにしちょっとしたチャンスを狙ってフィッツロイの写真を撮る。最後の最後までフィッツロイに楽しませてもらった。写真を撮れるような距離感でなくなっても意外といつまでも見えているフィッツロイ。カラファテまであと120km(チャルテンからバスは100kmほど走った)ほどのドライブインにバスが入るところまでフィッツロイは見えていた。
 
10時30分カラファテ到着。宮里インへ。特にやることを決めていないので宿でしばし休憩。12時ごろ出かけてパン屋に入りエンパナーダで昼食。ペソが残り少なくなって両替をする必要があり両替は18時からだったような気がするので、夕食にするときに両替することにし土産物屋をぶらぶら見る。アウトドアウェアショップにちょっと目を引くバイクジャージがあり、「Patagonia Argentina」と文字が入り南アメリカ大陸と恐竜がデザインされている。これを買うことにし少し多めにペソに両替しようかなと思う。両替屋は昼の営業は終わり次は18時からと思っていたが念のため時間を確認しに行くと昼の営業は14時まででぎりぎり間に合っていたため300ドルを両替。そしてバイクジャージを試着しに行き購入した。自分がほしい今回の旅のアイテムはこれでOKかな。
 
宿に戻って昼寝。目が覚めると18時。意外と時間って早く進むものである。外は土砂降りの雨。今回の旅の中で初めてしっかりした雨が降っている。ウシュアイアでは夜中に雨が降っていることが何度かあったが、日中の行動時間中に降ることはこれまでなかった。20時ごろ雨が小降りになったタイミングで中心部の寿司バーへ出かける。幸い雨は歩いているときには降らなかった。この寿司屋はカラファテでFUJI旅館というバックパッカー宿を経営しているご主人のお店である。脂っこい食べ物が多かったため和食と特に味噌汁が非常においしい!寿司のネタは日本のようには揃わないらしく、カリフォルニアロールと言うのかな?アボガドやチーズなど現地で入手できる材料を使って工夫された寿司だった。
 
他にお客さんもいなかったので、カラファテに来るまでの話、中でも南極レースの話になった。南極レースに出るには砂漠のレースに2つ以上出る必要があるという話しから、ご主人が以前アタカマでおこなわれたレースをテレビで見たと言う。それはおそらく自分が出ている2011年のアタカマ砂漠レースでは?その後、ご主人、奥様と写真を撮る。ご主人に「応援してますねー」と言われたので、「私も(ご主人を)応援していますよー」とエールを交わしてお店を出る。お店を出てから実は自分も「世界の果ての日本人」(たしか)という番組に、ご主人が出演しているのを見ていたんだよなーと思い出す。帰国したらメールしてみよう。
 
宿に戻り明日の予定を宿に伝える。朝食6時半。タクシーを7時30分に呼んでもらう。荷物まとめて1時に就寝。
 
 
«前のページ]  [HOME]  [次のページ»
忍者ブログ [PR]

Template by wolke4/Photo by 0501
プロフィール
HN:
かばっち
HP:
性別:
男性
職業:
system engineer
自己紹介:
なぜか砂漠にひかれサハラ・アタカマ・ゴビ・南極でおこなわれたレースに出場。これからも世界の絶景を見に行きたい。
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新コメント
[02/24 まー太郎]
[02/13 鈍足]
[02/13 NONAME]
[01/31 asa]
[01/30 鈍足]
ブログ内検索
カウンター
アーカイブ