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今日はイーグルプレインズからホワイトホースまで一気に移動。距離が1000km近くあるはずなので一体何時に出発するのか不安になり朝6時に起きる。様子をうかがいながらレストランで朝食にするが、みんなのんびり朝食にしていて急ぐ様子はない。朝はゆっくり出発してホワイトホース着が夜になるのかもしれない。9時近くになって急に動きが出てきた。ただホテルの部屋には最低限の身の回りのものだけで荷物はトレーラーと車に積みっぱなしなので体一つで車に行くだけ。9時30分ごろイーグルプレインズ出発。途中トゥームストーン準州立公園のところでトイレ休憩が数分あっただけでドーソンシティすら寄らずに車をかっ飛ばしていく。喉乾いたしお腹空いた・・・と限界近くなったお昼過ぎにようやくスチュワートクロッシングというところで車が止まった。売店とガソリンスタンドのみの小さな道の駅。売店で食事を買いたかったがそんなにいい食べ物があるわけではなかったので、コーラとお菓子を2袋買った。まともな食事はホワイトホースに着いてから。明日の午前中に取材インタビューがあるので車の中で紙にレースのポイントなどを書き出して自分の頭の中を整理しておく。さらに気の遠くなる時間が過ぎていくが18時すぎにホワイトホース着。思ったよりだいぶ早い。まだ明るいし、これならハイカントリーインで荷物を受け取りホテルを移動してからでも夕食に出かけられる。

ホテルはれなっちにウエストマークホテルを予約しておいてもらったので、ハイカントリーインからソリに荷物を積んでホテルの移動。それでも大荷物なので松村さんを夕食に誘いつつついでに?荷物を運ぶのを手伝ってもらった。お疲れのところ手伝ってもらったので夕食はおごりである。ゴールデン桜寿司でウナギ丼と寿司を食べた。このお店は中国の方がやっているお店だったけど、今年はお店に日本のポップスが流れていて、日本人の店員さんがいて、バイトの募集も日本語で書かれていて日本化していた。


夜にふと足の裏を見るとすごくきれいな状態。序盤で1つできた水ぶくれ以外には何も問題は起きなかった。むくんではいるもののこの感じならいくらでも続けられそう(足の裏的には)。久々に後のことを考えずにゆっくりすることができた。睡眠はネットとかしていてあまり長く寝なかったが、戻りの車の中で寝まくっていたので問題なし。

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フィニッシュして少しインタビューに応えているとマーティンが選手待機場所に車で送ると言う。もう少しのんびりこの場にいたい気もしたが体が冷えたらまずいし、スタッフたちも次の選手が来るまでは暖かくして休む必要があるだろう。次の選手がいつ来るのかをどうやって知るのかはいまだに謎だが。待機場所は学校で寝る場所は体育館。松村さんが場所とマットを確保しておいてくれた。さらに大会スタッフの方がフリーズドライの食べ物と暖かい飲み物を用意してくれたので、体育館のマットに座って食事をしながら松村さんとレースについて話をする。もう急がなくていいのが素晴らしい。たぶん疲れているはずだけど特に眠いとか横になりたいとかは思わなかった。

れなっちに電話で完走を報告して、シャワー室で体を拭いて(シャワーはボイラーが止まっていて水しか出ず)着替えて、さて寝るかと思ったら騒がしくなり体育館を片付けて出発するという。最後のランナーがフィニッシュしたので学校を撤収するとのこと。どうやら最終ランナーが来ても来なくても朝になると小学生?が登校してくるのでどちらにしても早朝に撤収しなければいけないらしい。こんなぎりぎりの運営ありなのか?これだと暗いうちにタクトヤクタックを出てしまうので私はタクトヤクタックの夜景しか見ずに去ることになってしまう。残念過ぎる―!そしてフィニッシュ地点にも駆けつけてくれたリヤカーマンの人が「8時半くらいに学校に顔出しますね」と言っていたけれど、そのときには我々はもういないという状態に。7時30分くらいに薄明るくなり始めたタクトヤクタックを出発。

大急ぎで帰る理由としてはデンプスターハイウェイが強風や悪天候でしばしば通行止めになるためらしい。一度通行止めになると何日も足止めをくらって南に帰れなくなることがある。そしてマーティンはこのレースの初期のころにデンプスターハイウェイの管理人から受け取った「まもなくデンプスターハイウェイを閉鎖する」というメールを選手に見せて「もうすぐ閉鎖されるから急げ」と急がしているという。(昔のメールを毎年見せて急がせる)


さすがに車に乗ると眠くなって爆睡しながら、でも時々目を覚まして外を見ると見覚えのある場所を通っている。イヌビックでスーパーに寄ってコーラとお菓子を買う。車は完全にレースのコースを逆走しお昼過ぎにスタート地点のイーグルプレインズ到着。部屋割の指示があるまでロビーで床に座り込んで待つ。スマホでネットしようと思ってwifiを起動しようとするとスイッチがONにならない。画面上のスイッチが操作できないグレー表示のままどうにもならないので、どうやらスマホのwifiが故障したと思われる。


午後はのんびり過ごし、イーグルプレインズのホテル周辺の写真を撮ったり、夕食時はレストランでだらだらする。wifiが復活しないので松村さんのスマホを借りて簡単にレース報告の投稿とれなっちに明日のホワイトホースのホテルの予約をお願いする。明日はイーグルプレインズからホワイトホースまで1000km近くを一気に移動するため到着が夜になる可能性があった。夜になってからホテルを探すのも大変なので。残念ながらレース本部のハイカントリーインと常宿のストラッドフォートモーテル(のキッチンがついている部屋)は明日は空きがないことは確認できている。


夜一度は早めにベッドに入ったが夜中に目が覚めたので窓の外を見るとオーロラが出ている。外に撮影に出るとオーロラはどんどん強くなりかなり迫力あり。少しの間撮影して体とデジカメを温めるために一度部屋に戻る。松村さんは寝ていたがせっかくの強いオーロラなので「オーロラがすごいです」と起こす。レース中にはできなかった撮影条件を変えながらの撮影など試し、もう一度部屋に戻って温まってから外に出るとオーロラは消えてしまっていた。それにしてもレースを完走できて、これできれいなオーロラの写真も撮れたのでかなり満足だ。

<3月17日>
トレーラーに入ると選手2人仮眠中。1つ前のCPイヌビックで同じコテージの部屋を割り当てられていた選手だ。イヌビックでは私が寝る前に出ていったから5時間以上差があったはず。ここでまだ寝ているということは差を詰めてきたかもしれない。軽く食事をし少しでも乾かしたいウェアをストーブの周りに並べてトレーラーの床にシュラフを広げてもぐりこむ。トレーラーの中はがんがんストーブが燃えているが床はそれなりに寒い。ちなみにトレーラーの外壁もキンキンに冷えているためウェアを壁際に干すと、ストーブの熱にあたる室内側は乾いてくるが、外壁に触れた部分は凍ってしまう。少し寝た後トイレに出てトレーラーに戻ると寝ていた選手が起きて出発の準備をしている。1つだけ簡易ベッド(キャンプ用ベンチみたいな感じ)がありそれが空いたので、そこで寝るように勧めてくれた。ありがたい、これで冷えを感じずに寝れる。6時半に目を覚まし動けそうな感じがしたため「7時に出発しよう!」と思ったが、ふと気が付くと9時45分!?何が起きたのかわからないくらいで3時間以上経過してしまった。盛大な2度寝。寝心地のいいベッドを譲られたのが悪いほうに出たか?飛び起きて出発の準備。荷物をソリに放り込んで朝食も取らずに10時15分出発。


見渡す限りまっ平らな雪原。昨夜CPに着いたときに感じたような段差はない。ただただ白(氷)と青(空)の世界が広がっていた。ただ大幅寝坊により浸っている暇はない。さっさと出発ししばし歩いてから荷物が少し気になった。急いで出発したため適当にバッグに突っ込んだだけになっている。何がどの辺に入っているのかイメージできないと気持ち悪い。食事もしていないので食べて、飲んで、荷物整理をしていくことにした。整理するとチタンカップがない。トレーラーで食事に使った後ジップロックに入れて着替えと一緒に置いたところまでは覚えている。出発するときにその辺の荷物を持ってきたつもりだったが置き忘れたようだ。これがないと食事はともかく緊急時に水を作ることができない。最終区間だからいいけどもっと早くカップを失くしていたらまずいことになっていた。カップは何か別のもので代用できないので、次回があれば予備を持ったほうがいいかも。去年も最終的に手元に戻ってきたとはいえ一時カップを紛失して冷や汗ものだったし。

チタンカップを失くしてチキンラーメンをお湯で戻すことができなくなったため、そのままぽりぽり食べながら歩く。しばらくしてGPSを確認すると時速4km出ていない。これまで状況が悪いとき以外は多少の停止時間含めても時速4kmは出ていたので気の緩みが出ているような気がする。CPでの2度寝然り。完走目標で順位は気にしていないとはいえレースはレース。気合いを入れるためにしばらくの間走ることにする。走って、走って、少し歩いてという感じで進む。CPを出発するときにあと2人後ろにいた気がするので、その2人には抜かされないようにがんばろうと思った。自分から崩れなければこのまま行けるはず。しかししばらくして後ろを振り返ると1人選手が間近に迫っていて驚く。後ろに誰もいないときに走りを多く入れ始めて後続との距離は離す一方だと思っていたのだが、見た感じずっと歩いている選手に追いつかれ、抜かされた。走れば一時的には再度前に出れそうだが歩きのスピードが全然違う。無理に後ろについても大変なのでそのまま見送ることにした。


日が傾いてくると今日も急激に冷え込んできた。風も少しあるので風に背を向けてソックスを変えたりグローブを変えたりする。グローブはこれまでは緊急用として使わなかったダウンミトンを使ってみる。さすがにメリノウールのトリガーミトンよりも断然暖かい。残りの距離はまもなく残り30kmくらいか?というところに来ていてフィニッシュへのカウントダウン。それでも念には念を入れて自分の体を少しでも快適に保つ。一時停止したすぐそばにポールの先端にパネルのようなものがついたものが数本立っていた。なんだかよくわからないが日本の道路だったら峠道のカーブとかにある反射板のようなサイズ感(まわりの風景が広大だから小さく見えている可能性あり)。何もないところで人工物を見つけるとそれ以外に何もなくてももうすぐ街がある?とか気持ちがうきうきしてしまうから不思議だ。それを過ぎるとこれまでにも増してまっ平らで何もない感になった。遠くにも山や丘のような起伏がまったく見えない。(後日談。このあたりで北極海に出たらしい)

太陽が地平線すれすれになると雪原がピンク色になる。夜のうち、あと数時間でフィニッシュするためアイスロードを見るのはこれで最後(正確には帰りに車で同じ道を通るが)。ここまで見たかった景色を見てこれて本当に来てよかったなと思う。しかも来年からアイスロードはなくなってしまうという最後の年に全コースたどれたのは良かった。この景色がなくなってしまうのは寂しい。ピンク色の景色の中を進んでいるとドローンが飛んできて私を撮影している(笑)取材チームが近くにいるようだ。完全に日が沈んで最後の夜。制限時間的にも問題はなく午前4時くらいにタクトヤクタックにフィニッシュできるだろう。遠くに明らかに人工の明かりが見えるようになった。横一列に光が見えて左から右へ動いているように見えるのだが気のせいだろうか。橋の上を車の列が通行しているように見えている。街の明かりが見えたことで自然に急ぎ足になる。

<3月18日>
このあたりもアイスロードだがこれまでと違いひび割れが大きく、ときどき足がはまって転びそうになったりソリのタイヤが落ちたりする。空にはオーロラ。まっ暗なアイスロードを進んでいると、地面のタイヤ跡、氷のひび割れ、道の曲がり具合(道が交差しているように見えたところもあったが一本道のはず)同じ場所を何度も通っているような気がして「自分はもしかして同じ場所をぐるぐるしているのか?」という錯覚に陥る。前方に見えている街明かりも見え方はまったく変わらず。本当に街の明かりを見ているのか信じられなくなってくる。GPSを確認するとあと10kmちょっとのはず。

なんとなく視界が狭くなったように感じ、手が冷たく痛くなってきた。ダウンミトンも着けはじめのような暖かさは感じないので水分を吸わせてしまったか自分の発熱が落ちているのか。あと少しと思ってやるべきことがおろそかになるとバランスが崩れて低体温になる恐れもあるため、立ち止まってエネルギー補給、水分補給、それからカイロを2つ用意し手を温められるようにする。あとフィニッシュまで3時間足らずに迫って低体温とかになったら最悪過ぎるので最後まで気を抜かないこと。


光の列は消えて建物らしい影の形が浮かび上がってきた。本当に到着したらしい!建物がはっきり目の前に見えてきてゆっくり走る車が現れた。大会スタッフの車がフィニッシュラインまで先導してくれる。3年分の重みを感じながら、何が何でも完走とこれまで走ってきて、フィニッシュに来たら泣くかと思っていたが、いざ来てみるとそんなことはなく「うわー、ほんとうに北極海まで来ちゃったよ!」(ただしいまいち実感なし)という感じだった。ただ最後の一歩一歩を味わうように歩いた。最後に少し下りがあったので小走りに。道の先のほうで出迎えてくれる人たちが見えてきた。大会の横断幕が広げられている場所にフィニッシュ。やりきった!という気持ちよさと、もう極寒レースをクリアしたのでやらなくてもいいんだという呪縛から解き放たれた解放感!フィニッシュの時間は4時32分。制限時間まであと4時間30分を残してのフィニッシュ。ぎりぎりとも言う。ちなみに予定に対して1時間7分遅れ、予定に時差は加味していなかったので実質は予定よりも53分早くフィニッシュした。レース中通しておおよそ予定(見積もり)通りに行ったのは偶然かもしれないがよくまとまったと思う。

レース結果:566km完走、185時間32分、6位(17人中7人完走)
           http://www.6633ultra.com/images/pdfs/6633-Results-2017.pdf
           ※私より前にいたのに途中でやめてしまった人が何人かいるのが気になる
    このレースは今回9回目の開催で350マイルは9回で103人が出走し32人が完走しています。

<3月15日>
使ってよい部屋に案内されると相部屋でもう一人先に入っていた。前のCPでも自分が到着したときに出発の準備をしていた選手。自分よりも3~4時間前にいる感じ。ドロップバッグは隣の部屋に置かれていたので(指示はなかったので勝手に部屋を覗いて探した)回収して食料とウエアの入れ替えだけしておく。シャワーを浴びて、食事をして、れなっちに電話報告して、16時30分ごろ就寝。20時30分ごろまで4時間ほど眠れた。また食事をしてエネルギーを詰め込み、準備をして21時40分に出発。ここからフィニッシュまではこれまで温存してきた装備も使い切っていい。装備も体力も総力戦で行く。

予定では10時25分イヌビック着でイヌビックおよび次の区間に休憩時間12時間を割り振っていたため、イヌビック21時40分出発の時点で休憩時間の持ちタイムをほとんど使いきった状態にあった。次のスイミングポイントまでの113kmを休憩なしで行ってようやく予定通りに戻る計算。ただこれを達成できれば最後の区間はかなり余裕がある状態になる。最後の区間には完走確実と言える制限時間の24時間前に出たいので(3月17日の9時)予定通りのタイムに戻れば理想的だが、それができなくても休憩時間を削って9時に出発するようにするつもり。次の区間を完走は確実という状態で迎えたいのでここが勝負である。

コテージから出発したもののコースはどちらに行けばいいのかわからない。するとどこからともなく現れた犬を連れたおじさんが「出て左、まっすぐ行って川に出たら右」と教えてくれた。たぶんスタッフ?レースの協力者か?それにしてもすでにコース上に残っている選手は10名以下になっていると思われ、おそらく選手よりもスタッフの人数のほうが多くなっている気がする。22時近いとはいえまだ薄明るい。ノースウエスト準州の時間+サマータイムになって時計が2時間進んでから妙に夜遅くまで明るくなった。その代り朝は7時、8時になってようやく明るくなってくる感じだけれど。


アイスロードに入り右側にイヌビックの街明かりを見ながら進む。少しでも次の区間に余裕を残せるように、この区間で少しくらいならビバークしても大丈夫なように走りを入れていく。5分走って5分歩くを繰り返して1時間で何キロ進むか測ってみたところ5.8km/hくらい。意外と進まない。全歩きだと4km/hくらいなのでがんばっている割には大して変わらないともいえる。3時間繰り返せば1時間分巻けるという感じか。とりあえず3時間は5分走って5分歩くを繰り返すことにする。補給などで足を止めた後は10分走りで。攻める気持ちを前面に!

アイスロードはかなり幅が広く走るラインを自由に選べる。原則として選手は左側を走ることになっているのだがアイスロードは片側3車線くらいの幅がある。左のほうは氷の上にしっかり雪が乗っている感じで右のほうはつるつるの氷になっている。どちら向きに走る車も右のほうのつるつるのところを走っているようだ。みんな右側を走るからそこの雪が剥げてつるつるになっているんだろうけど。ソリを引いて走るには雪がついて凸凹しているとソリのタイヤの回転に抵抗が出る。つるつるのところを走ると足が滑って蹴る力がロスしてしまう。そこでちょうど真ん中辺の氷の上にわずかに雪がこびりついているところが都合がいい。グリップしつつタイヤの抵抗は感じない。しかしど真ん中を走っていると対向車が来た時が恐ろしい。たぶんこちらも向こうも「あいつは道のどの辺にいてどっちに避けるんだ?」と思っているはず。そもそも向こうは夜中にアイスロードの真ん中に歩行者がいると思っていないだろうけど。そして時速100kmで車のライトが近づいてくる!


<3月16日>
3時間経過後は体と相談しながら、ずっと時計をチェックしているのも大変なので適当に走りを入れる。それでもだんだん歩きが多くなってきた。明け方にスコット選手を抜かした。ビバークをしていたのか出発の準備をしている。この後、夕方までずっと抜きつ抜かれつを繰り返すことになる。夜の間はあまりはっきり見えていなかったアイスロードだが明るくなり北へ進むほど透き通った氷の道という感じになってきた。まさに見たかったそして歩きたかった風景。後ろから大会スタッフの車が来たと思ったら松村さんが車から降りて撮影している。リタイアしても大会スタッフと一緒に観光っぽく移動して楽しめているようだった。写真を撮って遊んでいたらマーティンに「ヒデチカ、急げ!」と言われてしまった。


北に進めば進むほど近くに見えている山(丘?)の高さが小さくなり海が近くなっている雰囲気。日の高いうちに(北極なので低いけど)アイスロードの写真を撮りまくった後は進むことに集中。足を止めるとすぐに追い抜かれて先行していたスコット選手も長い直線で後ろを振り返っても姿が見えなくなった。向かいから走ってきた車が一度通り過ぎて戻ってきた。「樺澤さんですよね?」と声をかけられる。2年前に櫛田さんの車で会った写真家の谷角さんだった。谷角さんは世界的に有名なオーロラ写真の先生だそうでホワイトホースの本屋にも写真集が置かれているほど。櫛田さんの車で出会った日に谷角さんが撮影したオーロラの写真を購入させてもらって自宅のリビングに飾ってある。で、実は同じ歳(笑)「今年は完走できそうですよ」と言葉を交わして別れる。太陽もだいぶ低くなり次のCPへの残りの距離も30km程度に。


昼から夜への切り替わりはウェアを追加で着たり(DASパーカー、DASパンツを上に着る)、ソックスが湿っていれば履き替えたり、明るいうちにお湯を使う食事を済ませて必要な行動食を手元のバッグに補充したりやることが多い。手袋を外してまとめておこなうと手が冷え切ってしまうため、作業して行動して温めての繰り返しをしながら夜を迎える準備が整っていく。暗くなるとさすがに眠気が押し寄せてきた。頭の中も「次のCPはまだ見えないのか?」でいっぱいになってしまう。ふと足元を見ると建設現場か資材置き場のように金属のパイプとも角材とも見えるような長いものがごろごろと転がっている。なんでこんなものがあるんだ?とまたいで通行するが、しばらくしてこれは氷の下にあるものが浮かび上がって見えているのでは?と思い、またがずに踏みつけてみると平らな氷の感触。昼間は透明な氷にしか見えなかったのに夜になると川の中にあるものが浮かび上がって見えるなんて不思議だなーと写真を撮る(この写真をレポート書きながら確認してまたびっくり。普通のアイスロードが写っていて正体を見たと思っていたものもまだ幻覚だった)。細い木の枝に見えるものは氷のひび割れだった。

<3月17日>
真っ暗な中前方に明かりを見つけた。車が来たかなと思ったが動いてはいない。もしかしたらCPの明かりかもしれない。あと少しだと力を入れるが明かりは近づかないまま力はだんだん抜けていく。平衡感覚がなくなって幅の広いアイスロードのどの辺を自分が歩いているのかわからない。原則左側を通らなければいけないのに右に曲がっていってしまうようでアイスロードの右側の除雪の壁に何度か突っ込んだ。暗くなってからは一般の車はこなくなったけどこんな状態で車が来たらひかれてしまう。だんだん自分がしっかり立って歩いているのか、這うように進んでいるのかもわからなくなった。ただ前方の明かりは大きくなっている。なぜか荒川の土手の上のようなところを進み(実際はもちろんまっ平らなアイスロードだが、感覚が荒川のかつてのジョギングコースに飛んだ)明かりの目の前に出てきた。ところが今度は自分が進むと明かりは同じスピードで後退する。この状況をどこかでこれは幻覚だからしぶとく進み続ければOKと判断している自分もいて、後退する明かりを捕まえるように足を前に出し続ける。石段をいくつか上がって鳥居をくぐると(すべて幻覚ですw)ふっと明かりの目の前に出た。大会運営のトレーラーだった。スイミングポイント到着2時。28時間連続行動で予定よりも40分早く到着。フィニッシュ関門まであと31時間で残り75km。完走は確実になった。

<3月15日>
深夜0時30分に起きて出発準備。1時に元の場所に送ってほしいとスタッフにお願いしてあったが1時までに準備が終わらず1時15分に出発。改めてイヌビックまで45km。短いのでさっさと行ってイヌビックでしっかり休む時間を作りたい。カリブークリークからしばらくは登り。ちょっとした山の上という雰囲気のところが真っ暗ながら見晴らしがよく昼間だったら素晴らしい景色だろうと思う。きれいなオーロラが出てきたので写真を撮ろうとカメラを取り出していたらその間に消えてしまった。ここからしばらくは下り。基本的に登ったら必ず同じだけ下る。途中で選手が1人ビバークしていた。カリブークリークから大して来ていないので、ここで寝るならカリブークリークでその分寝ればいいのにと思ったが、なかなか眠りたいタイミングと眠るのに適した環境が揃わないということはあるな。

朝が近づくにつれて急激に寒さを感じるようになった。体は滅多なことでは寒いとは感じないが、手足、顔がきつい。この寒さは何?と思って温度計を見るとマイナス37度で今回のレース中一番の冷え。まだ夜明けまで時間があるのでもう少し下がるかもしれない。顔は風を受けないように下向き、地面についた先を行く選手の足跡と車のタイヤ跡を追う、ときどき顔を上げて進行方向を確認。手はオーバーグローブの内側で汗が凍って氷ができている(ビニール手袋節約でベイパーバリアしていないので)。アウター(DASパーカー)のポケットに手を突っ込んで歩くとましな感じになった。足の冷えは今回のレース初のオーバーシューズ。効果を確かめる意味と、ソックス2重履きやベイパーバリアをするには一度シューズを脱がなければならず面倒。ついでにメインで着用しているバラクラバは湿って(凍って)いるので新しいバラクラバを着ける。なんとか進み続けるがペースは上がらないしリスクも高いので、つい目はビバークできる場所を探してしまう。シュラフに退避したい気持ちが強くなる。しかし制限時間に対して余裕があるわけではないし、カリブークリークでしっかり寝てきたので、ここで停滞するわけにもいかない。明るくなれば気持ちも上向いてくると信じて前進あるのみ。


明るくなったらやっぱり体がよく動くようになってきた。明け方は強く朝を待ち望んでいたためか、朝焼けがとてもきれいに感じた。GPSを確認するとスローペースながら動き続けたのは意味があって思ったよりも前進していた。もともとこの区間の距離は短いからというのもあるけれど。ピンチを脱して足取りも軽くなって進んでいくと空港があった。空港があるのはイヌビックについた証拠。大きな三叉路は空港、イヌビック、デンプスターハイウェイの分岐で来た方向に向かって矢印でデンプスターハイウェイと書かれているのが、ようやくデンプスターハイウェイの終点まで来たんだなという実感を与えてくれる。


あとは最後のアイスロードだけだともう到着した気分になってしまう。少し休憩することにしてソリに腰掛けてのんびり食事。天気もいいし直射日光は暖かいし(気温はマイナス20度ほどだが)、看板や何かの施設(アンテナとか立っている)がイヌビックに着いたという安心感が出てくる。暖かいし、もうすぐだからとアウターを脱いで身軽になる。ところが歩き始めたら体が冷えてきた。寒い。まだか?と思いながら進むが実はイヌビックの市街地はまだまだ先っぽい。けっきょく我慢できなくなって再びアウターを着る。さらに疲労を感じてきてバテバテ。予期せず最後の最後で苦しむことになってしまった。CPが近づくとやっぱり大会スタッフの車がいて誘導された。CPはArctic Chaletsというコテージがたくさんある施設で部屋を割り当てられシャワーとベッドが使えるという場所だった。イヌビック到着14時20分。予定に対して3時間55分遅れ。
<3月13日>
CPには松村さんがいた。おしゃべりで気分転換。また4時間目安で寝るが、2時間半で目が覚めてしまった。すっかりCPで2時間半+ビバーク30分~1時間の睡眠が定着している。松村さんは爆睡中だったので起こさずに出発。滞在5時間。寝て起きると足のむくみがなくなり筋肉的にも問題ない。普通に走れるくらい。もしかしたら行動時間が長くなってむくんで痛いのは水分不足かもしれないので、この区間はお湯を積極的に飲むようにしてみる。町の出口へ向かう途中、子供たちがスノーモービルで走り回っているのに遭遇。せいぜい10歳くらいの子供で大きなスノーモービルは大人が後ろに子供を乗せているのかと思ったら子供が2人乗りしているだけだった。こういう場所ならではの風景か。


ツィーゲーチックを出ると「WARNING Athletes on the road ahead」と看板が出ている。「道にアスリートがいるから気を付けろ」って意味がわからない(笑)ひたすらまっすぐな道(40~50kmまっすぐ!)。遠くに車のライトが見えてから来るまで15分くらいはある気がする。時々前後を確認していれば道の端ではなく雪が固くて進みやすい場所を歩いていて大丈夫。ヘッドライトが2つに見えるようになったら端に避けるようにしていた。きれいなオーロラが現れた。オーロラの撮影チャンスに備えポケットで温めていたOMDの電池をOMDに入れ道路にミニ三脚を設置して撮影する。適当に数枚撮ってあとは我慢。いちいち撮っているときりがない。空を見上げると北の空高いところにカシオペア。北極星はほとんど天頂に近いところに見える。北斗七星は北の空ではなく南の空高くという感じ。星の動きは東から昇ってくるのではなく水平に回転している感じになる。気温が冷え込んでくる。マイナス30度。まっすぐな道が数十キロ続き道の両側は除雪で1mほどの壁。ビバークする場所がないため壁の奥側に木が生えているところで壁の上に乗り、ソリが向こう側に滑っていかないように木にくっつけて置いてその上で寝る。肩と頭の部分はソリに積んだ荷物のバッグを置く。


<3月14日>
2度目の睡眠は明るくなってから道にカーブが現れ始めたところで除雪の壁がない広い路肩で寝る。真夜中はほとんど車(トレーラー)が来ないが明るくなると車が来るようになるため明るくなる前に寝る場所を決めれるとよかった。日中は変化に乏しい道をひたすら歩く。この区間は82kmといつもより10kmくらい長いので行動時間が2~3時間長くなる。きれいな夕日を見ながらカリブークリークの近くまできた。夕日といっても太陽が低い位置にあるだけでここからなかなか沈まないのだが。道の左側に大会スタッフっぽい車が止まっているが人はいなく建物もない。前のCPでは分岐でスタッフが待っていて「ついてこい」だったので、誰もいないということは違うのかもと思い先へ進む。先のほうにもキャンプ場っぽい看板が出ていたりする。

しかし1時間近く進んでもそれっぽい場所はなく、むしろ人工物の気配がまったくなくなってしまった。さっきの車の場所だったかもしれないなと思ったが、戻って見つけられなかったらそれこそ大ダメージだし、カリブークリークからイヌビックまでは48km。すでに3kmオーバーランしているとすれば残り45km。3km戻って確認するなら、3km前進してイヌビックまであと42kmになったほうがよいと思えた。そうしたら順調に行けば10時間でイヌビックまで行けるし水が少し足りないと思うが少しくらいなら作ればいい。そんなことを考えていたら後ろから車が来て止まった。大会スタッフが来てカリブークリークを過ぎているぞという。やっぱり3km手前の車のところだった。

どうせ一本道でずるのしようがなくカリブークリークのCPの前を通ってきたのは確かなのだから、このままイヌビックまで行ってしまってもいいでしょう?とスタッフに伝えたいのはやまやまだが英語で言えない(笑)しぶる態度の私を見てスタッフが察したのか車でCPに運び、睡眠やお湯など必要なことが済んだらまたここまで車で運ぶと言ってくれたので車にソリを積んでCPに連れて行ってもらう。お手数おかけします(笑)それにしても通過から1時間で、私がCPを通過してしまったのを知り迎えに来るってどうやって監視しているんだろう。発信機とか渡されていないのに。カリブークリークのCPは車が止まっていた奥に小道がありそこを進んでいくと小さな山小屋が姿を現す。これは道からじゃ気が付かない。山小屋はほんとうにただの小屋でトイレ・水道なしだった。しかし暖を取れてソファーで眠れるので十分だ。

カリブークリーク到着20時30分。予定よりも4時間遅れ(3km余分に進んでいるため実質3時間程度)。ビバークを2回した分遅れが拡大。しかしここまでだいたい70km(1区間)に対して休憩6時間を見込んでいたところ、ここからイヌビックは48kmに対して休憩6時間だし、イヌビックからスイミングポイントも113kmに対して12時間の休憩を見込んでいる。つまり今まで通りの休憩の取り方をしていれば時間の余裕は拡大していくはず。まだまだ行けると思う。今日は足がむくんで痛くなることがなかったのもいい材料。やっぱり水分補給不足だったんだと思う。
<3月12日>
到着して順位を確認すると後ろにはあと2人いる程度。よいペースなのに後ろが2人とは若干ショックだが前もそんなに離れているわけではない。順位を気にしてというよりは最後尾は避けたいというだけなので。あとはリタイアもけっこう出ている。また過去の結果を見るとフォートマクファーソンを通過した人の完走率はかなりいいので(落ちる人はここまでに落ちる)第一関門突破という感じ。

ドロップバッグを受け取りウエアと食料の入れ替え。ベイパーバリア用の手袋を2重で使っていたら枚数が足りないことに気が付く。ビニール手袋は残り2セット。最後のアイスロードに温存するためイヌビックまで手袋のベイパーバリアなしで行くことにする。スタート時に背負っていたザックは使いにくくて途中からソリに積んでしまっていたためドロップバッグに置いていくことにする。ザックを背負っていると、ソリのハーネスと2重に背負っている状態になるため、歩く(走る)ときに肩周りの動きが制限されて疲れる。それよりは自分の体に装着しているものをソリのハーネスだけにしたほうが着脱も速くなるのでウェアの調整やお湯を使うときに都度ハーネスを外してソリにアクセスすることにしてもマイナスにはならないと思った。あとはソリのハーネスも常にショルダーベルトまで付ける必要はなく続けて作業することが見込まれる場合は腰ベルトだけで引いても問題ないことがわかった。元から腰ベルトだけのハーネスを使っている選手も多いくらい。最初の予定ではウェアの下にハイドレーションを背負うことを検討していて、それを入れたら3重になってしまうからあり得なかったな。

足の裏を確認すると右足のかかと内側に水ぶくれあり。水だけ抜いて睡眠を取りながら乾かすことにする。取材チームの人にメディカルに見せないんですかと聞かれたが「見せません。水ぶくれのことは内緒ですよ」と口止め。専門家に見せると自分の分野の問題になんとか当てはめようとする(医者なら病名をつけたがる)ので大したことがないときは絶対に見せないほうがいい。ここで何もなくても先々足の裏はどうなった?見せてみろとことあるごとに時間を取られるのは目に見えている。水ぶくれやマメを進行させないようにできるだけベイパーバリアを使わないこと、靴下を毎日交換することを心がけていく。れなっちに電話をかけて到着の連絡をし、体育館のようなところで就寝。

2時間半で目が覚めたので出発の準備。滞在5時間。23時4分に出発。ソリを引いて町の入口に向かって歩いていると近くの家の人が声援を送ってくれたりする。再びデンプスターハイウェイへ。フォートマクファーソンの町明かりを後にまっくらな道を突き進む。やっぱり人工の光から離れていくのはちょっと寂しい。いいペースで進んでいると前の選手に追いついた。停止してコーヒーを飲んでいる。「コーヒーいるか?」と勧められたが、がしがし進んでいたので「No, thank you」。後からちょっとくらい足を止めてもよかったかなと思った。


<3月13日>
しばらくの間ずっと平ら。遠くのほうに赤い光が見える。あれは何かな?と思ってみながら進むが全然近くならない。数時間かかっただろうかようやく近づいてきたと思ったらちょっとした山の上に電波塔がそびえている。そのあたりから平らな道ではなく軽いアップダウンのある尾根っぽい道になった。それなりの斜面を登って電波塔の脇を通過。電波塔へアクセスする道の分岐がビバークをするのによさそうな場所だったが特に眠くなかったので通過。しかしどこかでは睡眠を取らないといけないだろう。意外と見上げるような登りが多く感じ、しかしこの区間の累積標高差は300mないので標高差の情報が間違えているのではないかと思い、GPSで一つの坂道の標高差を測ったら12mしかなくてショック。

眠いタイミングがやってきたがビバークできそうな場所がない。尾根の上の道で路肩も広くなく落ち込んでいる。さらに風の通り道になっている。いくら進んでも良い場所は見つかりそうになかったため道が右にカーブしているところの内側で寝ることにした。道が少しだけバンクしているので左から吹いている風を少しは防いでくれるだろう。後の様子をうかがい誰もいないことを確認して素早く準備。誰か来ていると大丈夫かとか話しかけられたりして、眠気が飛んでしまうことがあったりするので確認してからビバークに入る。特に英語が苦手だから話しかけられて英語を考えると目が覚めてしまうので。シュラフをばさばさと広げていると走ってきた車が目の前で急停車。最悪である。取材チームの車だった。「誰もいないことを確認してビバークしているのに、いいタイミングで来ましたね」とか言ってしまう(悪意はないです、眠くていっぱいいっぱいなんで!)。何か聞かれて説明しながらシュラフにもぐりこんだ気がする。無事にビバークすることができた。1時間程度寝て明るくなりはじめた道を進む。


終盤はやっぱり足のむくみで痛い。やっとツィーゲーチックが見えてそこまでは下りなのに小走りすらできない。この先のことを考えると少し気が重くなってしまう。レース後半のアイスロードはある程度走れればという希望も持っているがこの痛み、この足の重さでは厳しい。マッケンジーリバーを渡るところで前の選手が迷っている。川の上をよくよく見ればツィーゲーチックを一度後ろに見るような方向に凍った川の上を進んでから右に曲がる道があるのに、そっちに行くとツィーゲーチックを通り過ぎてしまうと思っているらしい。思い切ってあと少し進めば看板も見えているのに。うまく説明できないので行動で示そうと選手を無視して進む。前にいた選手は通りすがりの車を捕まえてツィーゲーチックへの行き方を聞いている。そしてやっぱりこのまま川に進めばよいとのことだった。少し進んで分岐に来るとそこに大会スタッフの車がいてフォートマクファーソンのときと同様に後ろについてくるようにとのこと。ツィーゲーチックは小さな集落という感じ。こんな場所に人が住んでいるのが驚きで何を生活の糧にしているんだろう。家とかの見た目は普通だし教会があったり公園?(遊具のようなものが見えたが気のせいか?)があったりする。ツィーゲーチック到着14:35、予定より40分遅れ。


<3月11日>
睡眠時間は4時間から寝れるなら6時間くらい寝てしまってもよいと考えていたが、目を覚ますと2時間半しか経っていなかった。しかしすぐにもう一度眠れる感じでもないため食事をしてお湯を入れて出発することにする。CPの停滞時間は約6時間(他の選手に比べてもたついている感)で21時すぎに出発。CPから少し登ると道は沢へ降りて行っている感じ。オーロラが出ていてほぼ満月の月に照らされた山といい感じの景色を作っている。とりあえずオーロラが出ていたという記録を残すためにTG4でオーロラ夜景を数枚撮っておく。道は沢沿いに下っていくのかと思ったら沢を通り越して反対側の山に登っていく。登っていく途中に除雪の重機が置いてあった。ジェームスクリークに向かっているときに除雪している重機もいたし、ジェームズクリークのCPが道路管理基地だったに違いない。後ろからすごい勢いで登ってくる選手がいてあっという間に抜き去られたが、登り切ったところで何かやっているのを抜かし返した。

<3月12日>
そこから長い下り、いる場所よりも明らかに低い場所が見えなくなってからは緩やかな登りと下りを繰り返す。前方はかなり遠くまでコースが見えている気がするが明かりはまったく見えず前の選手は確認できない。ときどき本当にコース合っているのか?と思い後ろを振り返る。後ろには登りで一度抜かされた選手のヘッドライトが見えるが登りの勢いを考えると追いついてきてもよさそうなのに逆に離れていっている気がする。途中で距離表示の看板があり「Fort McPherson 50km, Tsiigehtchic 110km, Inuvik 235km」と書かれていた。行く先々のCPへの距離が出てきて安心する。

明け方眠くてふらふらしてきたのでビバークしていくことにする。左から右に風が吹いているが(おそらく北風)木はほとんど生えていないのでソリを盾にしてその横でごろ寝した。横になったとたんに意識がなく気が付いたら45分経っていて「今寝た?」という感じになる。前日ボーダー手前で寝たときもそうだったが、ぎりぎりまで眠気を引っ張ってすぐに意識を失うくらいだと時間の無駄がなくていい。夜からわずかに雪が降っていたが気温が低いため確実に積もっている。あまり積もるとソリの抵抗が大きくなってしまうので心配だ。スタート前に見た天気予報では3月12日に雪が降り、その日まではあまり気温は下がらず、雪が終わると気温が下がっていく予報になっていた。今日は3月12日これが終わるとぐっと寒くなると思われるので動きやすいうちに少しでも先に行きたい。


昼頃キャンプサイト?家?のようなものがあるところを通過しフィールリバークロッシングへ。凍った川を渡る。ここを過ぎればフォートマクファーソンももうすぐだ。またここで標高もほぼゼロ。GPSを見ても15mあたりを表示している。つまりここからは山はなくひたすら平地。数十キロで獲得標高が300mとかそんな感じ(その分下って足すと0mになる)。早くフォートマクファーソンに到着したいがここに来てペースダウン。足がむくんで痛いのと眠くて油断すると立ったまま眠ってしまいそう。飛行場があるらしく飛行機が降りてくるような音を聞いた。町はすぐそこのはずなのになかなかつかない。

ようやく「Welcome Fort McPherson」という看板がありその前に大会スタッフの車がいた。デンプスターハイウェイから左の道の分岐を入るとフォートマクファーソン。「車についてこい」と言われ後ろをついていく。CPとして借りている学校は町の奥のほうにあってそこそこ時間がかかった。17時52分到着、予定よりも1時間27分遅れ。しかし自分の見積もりは時差・サマータイムを含めてなく、実際にはここまで時差・サマータイムで時計を2時間進めているのでほとんど予定通りのペースだ。ただ最終的なフィニッシュ関門に対する余裕が4時間程度しかないという一瞬も油断できない状態ではある。


<3月10日>
3本のサーモス合計2.7リットルにたっぷりお湯を入れ、アークティックサークルの看板で写真を撮り、トイレに行ってから再スタート(ここは展望台みたいになっていてトイレがある)。CP1には30分程度の滞在で15時48分出発。CPで選手がごった返したあと自分が出発したときには前に選手は見えず後ろもすぐに出てくる感じではなかったので、自分がスムーズにCPを出れたのかよくわからない。どのくらいのポジションになったのかもよくわからない。

体がきついと思わない程度のペースで歩く。今夜は少し早めスタートから60kmくらい目安でビバークして睡眠を取るつもり。ホワイトホースを出発する前日にリヤカーマンの人と電話をしてコース情報をもらったのだが、ノースウエスト準州との境界(ボーダー)付近は風が強く休むのに適した場所がないため、その手前登り始める前に休んだほうがいいだろうと意見をもらった。そこで1日目を短く刻み元気な状態でボーダー越えをしようと考えていた。日が沈んで気温が下がると手足の冷えが顕著になってくる。少し気合いを入れて歩いても日中にびっしょり汗をかいた影響で体温は上がらない。ベイパーバリアしているのでウェアが濡れてすぐに保温できなくなるようなことはないが、ベイパーバリアのない手首あたりに回り込んだ湿気(汗)がウェアの袖を凍らせている。

このまま進み続けると追い込まれていくだけなので、ビバークしつつ落ち着いてウエアをどうするか考えることにした。GPSで60kmをしばらく過ぎたところで道の脇の除雪スペースを見つけたためテントを張る。リヤカーマンの人は(イーグルプレインズから)60km付近に大きな倉庫があり風よけになると言っていたが倉庫と思われるものは見つからなかった。シュラフにもぐりこみ自らぶるぶる震えて体を温める。一番確実なのは昼間着ていて汗で濡れたウエア一式新しものに交換してしまうこと。しかし次のドロップバッグ(CP3)まで120kmはあるため完全着替えはもう少し後にしたいと思った。なので再スタートのウエアは化繊アウター上下とソックスの外側にベイパーバリアソックスを追加して様子を見ることにした。それから睡眠を取ろうと思ったが眠れない。すっかり目がさえてしまっている。さらに悪いことに近くに車が止まり人の近づく気配。息をひそめているとどうやら取材チームのようだ。こちらの様子をうかがいながら「どうします?」と相談している。取材チームが去った後、眠れなかったがテントをたたみ先へ進むことにした。睡眠を取っていない(ちょっとうとうと程度)3時間ほどの停滞。こういうのがもったいない。

<3月11日>
空にはうっすらオーロラが出ているのを見ながら再スタート。急坂を下り、V字に登ってその後はわりと平ら。3時間の停滞で自分の位置はどうなったか心配になる。順位狙いではないのだが最後尾になると主催者のチェックが厳しくなりそうな気がして最後尾だけにはなりたくない。後ろから大会スタッフの車が来て「あなたの友達を後ろに乗せているぞ」と後ろを指すので(英語がいまいちわかっていないこともあり)意味が分からず道路の後方を見る。すると車の後部座席の窓が開いて松村さんが乗っていた。「リタイア?」と聞くと「低体温症で回収されちゃった」とのこと。なんという打ち上げ花火・・・かける言葉が見つからず「がんばってくるわー」と声をかけた気がする。自分のほうはビバーク後のウエアで問題なくこのまま行けそう。

次は前から大会スタッフの車がやってきた。OKかどうか聞かれてから「次のコーナーだ。あと5分」と言われた。(このときは何のことか意味がわからなかったが、そこに大会トレーラーが睡眠場所を提供していて参加者の大部分はそこを目指していたらしい)大会スタッフの車はさらに後方へ走り去ったのでまだ後ろに選手がいると知って安心した。ここで大会スタッフが言ったように道が大きくカーブしていて、そのカーブの内側にリヤカーマンの人が言っていたのはこれか!?というような建物(倉庫とも見える)があった入口の特徴も一致。ただイーグルプレインズから60kmではなく70kmでした。そばの道の分岐には大会スタッフのトレーラーが止まっていて横目で見ながら通過。

70kmを過ぎると明らかに今までとは異なる傾斜の坂が始まる。ボーダー越えに向けて本格的な登りの始まり。激坂を登って一段高いところに上がると傾斜は緩くなり周りに木がなくなった。風はほとんど吹いていないが、もしここで風が吹いたら大変なことになりそうだ。先を急ぎたい気持ちが強くなる。暗くて景色はほとんどわからないが山並みを見る感じかなりの絶景っぽい。定期的にやってくる眠気をなんとかやり過ごしながら「早く朝になれ!」と思う。うっすら明るくなってきたころ、後ろから速い選手に抜かされた。この選手にはCP1の前でも抜かされた気がする。姿は見なかったがどこで寝ていたんだろう。ただ速い人がいまここにいるということは自分も眠って問題ないのではと思い、少し進んだところにあった除雪車の転回跡で寝ていくことにした。

コース途中で寝るときはサーマレスト(クローズドセル)に上にツェルト(ドームシェルターなので袋状)にシュラフを入れて、シュラフの中にさらにベイパーバリアの袋(エマージェンシーシートみたいな感じ)を入れて中に入る。状況によっては中にポールを持ち込んでおいて後から空間を作ってもいい。これだと5分で設置、5分で撤収できる。収納も大きな防水袋にツェルト、シュラフ、ベイパーバリアを3枚重ねのまま収納してしまう。1時間ほどごろ寝をして目を覚ますとすっかり明るくなっていたのでいよいよボーダー越えに向かって出発。

ボーダー越えに向かって標高を上げていくが意外と風は感じない。天気も良く歩きやすい。ところがボーダーに到着するなり突風。それでも景色良く重要ポイントなので写真を撮ろうとするがデジカメがうまく動作しない。TG4は動作しているし撮影もできるがオートフォーカスが効かない(ピンボケ状態で停止する)、ならばとソリからOMDを取り出すがバッテリーが冷え切ってしまっていて電源入らず。しかたがないのでどうにか動いているTG-TrackerとなんとかTG4(ピンボケかもな状態)で写真を撮って出発。ノースウエスト準州側を下っていくがずっと左から右への突風(北風)で顔を上げていられない。しかし直射日光があるためか寒さは感じなかった。体を思い切り左に傾け壁に寄りかかっているような感じにして進む。下りだがゆっくりとしか進めない。

標高が下がってくると風が弱くなってきた。レース全体としてもここからは下りのほうが多くなるので最大の難所は越えたといっていいかもしれない。ジェームズクリークに14時57分到着。予定よりも43分早い。リタイアした松村さんが大会スタッフの車に同乗してCPに来ていた。ここから先も大会スタッフの来るまで先回りしつつフィニッシュまで行くらしい。リタイアの原因は低体温症だったがオーロラの写真を撮ろうと停滞したのが引き金になったという。昨夜はたいしたオーロラじゃなかったから、事前にオーロラツアーとか行っていいオーロラを見れていれば無視できただろうな。昨日はほとんど眠っていないのでCPでしっかり眠っていくことにした。


<3月10日>
朝6時ごろ起きて食堂へ朝食に行く。パンケーキを食べコーヒーを飲んでのんびりした時間。まもなくレースが始まるとは思えないような雰囲気。レーススタート時にサーモスに入れていくお湯をどうするか迷った。部屋にはお湯を沸かすポットがないのでレストランでもらうしかなさそう。部屋のお湯の蛇口からお湯を入れて持っていくことにした。CP1で熱湯に入れ変えればそこまでの間は食事をしないので熱湯よりもぬるいお湯のほうが使いやすい。

8時40分ごろ外に出てトレーラーにドロップバッグを入れて準備完了。イーグルプレインズから北へ向かう道にあるゲートに選手が集まってくる。350マイルが17人、120マイルが6人の出場。
9時にマーティンの掛け声とともにレーススタート。時計見ていたら実際には9時を少し過ぎていましたけど(笑)

レースのフィニッシュ関門は8日後。ただしユーコン準州からノースウエスト準州に入るときに時差+1時間さらにサマータイムで+1時間されるため、実際には7日と22時間が制限時間になる。スタートするとまずは長い下り坂。トップに1人飛び出した選手がいて、それを追いかける松村さん。松村さんは撮影のためにトップを追いかけているのかと思ったら、どんどん突っ走ってトップ2人で視界から消えてしまった。こちらは急がずぼちぼちで。ただこの後に登り返しがくるので登りでがんばらなくていいように下りも特にペースを抑えることはしない。37kmのアークティックサークル(CP1)までは体力が有り余っている想定で時速6kmを予定している。そのためやや薄着でスタートしたがそれでもしっかり汗をかいている。気温はマイナス15度程度なので特別暖かいわけではないが。


何度かアップダウンを超えると松村さんが見えてきた。ちょっとばてているようで背中がどんどん大きくなってくる。スタートから4時間15分後、松村さんを抜かしたところで自分のポジションは全体の3位。ちょっと早すぎ?。暑く感じたので上着(ナノエア)を脱いでアンダーウェア(キャプ・サーマル)とベイパーバリアシャツの2枚になる。下り坂を軽く走るとベイパーバリアシャツの内側で汗が凍ってメリメリと音を立てている。ちょっと嫌な感じ。今はハイペースで動いているからいいけど夕方になってペースを落としたら、そのときにどうしようか・・・。CP1が見えてきたところで疲労を感じてペースダウン。何人かに抜かされる。この辺ではまだ団子状態なので、ちょっとしたことで抜かしたり抜かれたりする。CP1に15時19分到着。予定よりも9分遅れ、上出来だ。
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