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<3月10日>
3本のサーモス合計2.7リットルにたっぷりお湯を入れ、アークティックサークルの看板で写真を撮り、トイレに行ってから再スタート(ここは展望台みたいになっていてトイレがある)。CP1には30分程度の滞在で15時48分出発。CPで選手がごった返したあと自分が出発したときには前に選手は見えず後ろもすぐに出てくる感じではなかったので、自分がスムーズにCPを出れたのかよくわからない。どのくらいのポジションになったのかもよくわからない。
体がきついと思わない程度のペースで歩く。今夜は少し早めスタートから60kmくらい目安でビバークして睡眠を取るつもり。ホワイトホースを出発する前日にリヤカーマンの人と電話をしてコース情報をもらったのだが、ノースウエスト準州との境界(ボーダー)付近は風が強く休むのに適した場所がないため、その手前登り始める前に休んだほうがいいだろうと意見をもらった。そこで1日目を短く刻み元気な状態でボーダー越えをしようと考えていた。日が沈んで気温が下がると手足の冷えが顕著になってくる。少し気合いを入れて歩いても日中にびっしょり汗をかいた影響で体温は上がらない。ベイパーバリアしているのでウェアが濡れてすぐに保温できなくなるようなことはないが、ベイパーバリアのない手首あたりに回り込んだ湿気(汗)がウェアの袖を凍らせている。
このまま進み続けると追い込まれていくだけなので、ビバークしつつ落ち着いてウエアをどうするか考えることにした。GPSで60kmをしばらく過ぎたところで道の脇の除雪スペースを見つけたためテントを張る。リヤカーマンの人は(イーグルプレインズから)60km付近に大きな倉庫があり風よけになると言っていたが倉庫と思われるものは見つからなかった。シュラフにもぐりこみ自らぶるぶる震えて体を温める。一番確実なのは昼間着ていて汗で濡れたウエア一式新しものに交換してしまうこと。しかし次のドロップバッグ(CP3)まで120kmはあるため完全着替えはもう少し後にしたいと思った。なので再スタートのウエアは化繊アウター上下とソックスの外側にベイパーバリアソックスを追加して様子を見ることにした。それから睡眠を取ろうと思ったが眠れない。すっかり目がさえてしまっている。さらに悪いことに近くに車が止まり人の近づく気配。息をひそめているとどうやら取材チームのようだ。こちらの様子をうかがいながら「どうします?」と相談している。取材チームが去った後、眠れなかったがテントをたたみ先へ進むことにした。睡眠を取っていない(ちょっとうとうと程度)3時間ほどの停滞。こういうのがもったいない。
<3月11日>
空にはうっすらオーロラが出ているのを見ながら再スタート。急坂を下り、V字に登ってその後はわりと平ら。3時間の停滞で自分の位置はどうなったか心配になる。順位狙いではないのだが最後尾になると主催者のチェックが厳しくなりそうな気がして最後尾だけにはなりたくない。後ろから大会スタッフの車が来て「あなたの友達を後ろに乗せているぞ」と後ろを指すので(英語がいまいちわかっていないこともあり)意味が分からず道路の後方を見る。すると車の後部座席の窓が開いて松村さんが乗っていた。「リタイア?」と聞くと「低体温症で回収されちゃった」とのこと。なんという打ち上げ花火・・・かける言葉が見つからず「がんばってくるわー」と声をかけた気がする。自分のほうはビバーク後のウエアで問題なくこのまま行けそう。
次は前から大会スタッフの車がやってきた。OKかどうか聞かれてから「次のコーナーだ。あと5分」と言われた。(このときは何のことか意味がわからなかったが、そこに大会トレーラーが睡眠場所を提供していて参加者の大部分はそこを目指していたらしい)大会スタッフの車はさらに後方へ走り去ったのでまだ後ろに選手がいると知って安心した。ここで大会スタッフが言ったように道が大きくカーブしていて、そのカーブの内側にリヤカーマンの人が言っていたのはこれか!?というような建物(倉庫とも見える)があった入口の特徴も一致。ただイーグルプレインズから60kmではなく70kmでした。そばの道の分岐には大会スタッフのトレーラーが止まっていて横目で見ながら通過。
70kmを過ぎると明らかに今までとは異なる傾斜の坂が始まる。ボーダー越えに向けて本格的な登りの始まり。激坂を登って一段高いところに上がると傾斜は緩くなり周りに木がなくなった。風はほとんど吹いていないが、もしここで風が吹いたら大変なことになりそうだ。先を急ぎたい気持ちが強くなる。暗くて景色はほとんどわからないが山並みを見る感じかなりの絶景っぽい。定期的にやってくる眠気をなんとかやり過ごしながら「早く朝になれ!」と思う。うっすら明るくなってきたころ、後ろから速い選手に抜かされた。この選手にはCP1の前でも抜かされた気がする。姿は見なかったがどこで寝ていたんだろう。ただ速い人がいまここにいるということは自分も眠って問題ないのではと思い、少し進んだところにあった除雪車の転回跡で寝ていくことにした。
コース途中で寝るときはサーマレスト(クローズドセル)に上にツェルト(ドームシェルターなので袋状)にシュラフを入れて、シュラフの中にさらにベイパーバリアの袋(エマージェンシーシートみたいな感じ)を入れて中に入る。状況によっては中にポールを持ち込んでおいて後から空間を作ってもいい。これだと5分で設置、5分で撤収できる。収納も大きな防水袋にツェルト、シュラフ、ベイパーバリアを3枚重ねのまま収納してしまう。1時間ほどごろ寝をして目を覚ますとすっかり明るくなっていたのでいよいよボーダー越えに向かって出発。
体がきついと思わない程度のペースで歩く。今夜は少し早めスタートから60kmくらい目安でビバークして睡眠を取るつもり。ホワイトホースを出発する前日にリヤカーマンの人と電話をしてコース情報をもらったのだが、ノースウエスト準州との境界(ボーダー)付近は風が強く休むのに適した場所がないため、その手前登り始める前に休んだほうがいいだろうと意見をもらった。そこで1日目を短く刻み元気な状態でボーダー越えをしようと考えていた。日が沈んで気温が下がると手足の冷えが顕著になってくる。少し気合いを入れて歩いても日中にびっしょり汗をかいた影響で体温は上がらない。ベイパーバリアしているのでウェアが濡れてすぐに保温できなくなるようなことはないが、ベイパーバリアのない手首あたりに回り込んだ湿気(汗)がウェアの袖を凍らせている。
このまま進み続けると追い込まれていくだけなので、ビバークしつつ落ち着いてウエアをどうするか考えることにした。GPSで60kmをしばらく過ぎたところで道の脇の除雪スペースを見つけたためテントを張る。リヤカーマンの人は(イーグルプレインズから)60km付近に大きな倉庫があり風よけになると言っていたが倉庫と思われるものは見つからなかった。シュラフにもぐりこみ自らぶるぶる震えて体を温める。一番確実なのは昼間着ていて汗で濡れたウエア一式新しものに交換してしまうこと。しかし次のドロップバッグ(CP3)まで120kmはあるため完全着替えはもう少し後にしたいと思った。なので再スタートのウエアは化繊アウター上下とソックスの外側にベイパーバリアソックスを追加して様子を見ることにした。それから睡眠を取ろうと思ったが眠れない。すっかり目がさえてしまっている。さらに悪いことに近くに車が止まり人の近づく気配。息をひそめているとどうやら取材チームのようだ。こちらの様子をうかがいながら「どうします?」と相談している。取材チームが去った後、眠れなかったがテントをたたみ先へ進むことにした。睡眠を取っていない(ちょっとうとうと程度)3時間ほどの停滞。こういうのがもったいない。
<3月11日>
空にはうっすらオーロラが出ているのを見ながら再スタート。急坂を下り、V字に登ってその後はわりと平ら。3時間の停滞で自分の位置はどうなったか心配になる。順位狙いではないのだが最後尾になると主催者のチェックが厳しくなりそうな気がして最後尾だけにはなりたくない。後ろから大会スタッフの車が来て「あなたの友達を後ろに乗せているぞ」と後ろを指すので(英語がいまいちわかっていないこともあり)意味が分からず道路の後方を見る。すると車の後部座席の窓が開いて松村さんが乗っていた。「リタイア?」と聞くと「低体温症で回収されちゃった」とのこと。なんという打ち上げ花火・・・かける言葉が見つからず「がんばってくるわー」と声をかけた気がする。自分のほうはビバーク後のウエアで問題なくこのまま行けそう。
次は前から大会スタッフの車がやってきた。OKかどうか聞かれてから「次のコーナーだ。あと5分」と言われた。(このときは何のことか意味がわからなかったが、そこに大会トレーラーが睡眠場所を提供していて参加者の大部分はそこを目指していたらしい)大会スタッフの車はさらに後方へ走り去ったのでまだ後ろに選手がいると知って安心した。ここで大会スタッフが言ったように道が大きくカーブしていて、そのカーブの内側にリヤカーマンの人が言っていたのはこれか!?というような建物(倉庫とも見える)があった入口の特徴も一致。ただイーグルプレインズから60kmではなく70kmでした。そばの道の分岐には大会スタッフのトレーラーが止まっていて横目で見ながら通過。
70kmを過ぎると明らかに今までとは異なる傾斜の坂が始まる。ボーダー越えに向けて本格的な登りの始まり。激坂を登って一段高いところに上がると傾斜は緩くなり周りに木がなくなった。風はほとんど吹いていないが、もしここで風が吹いたら大変なことになりそうだ。先を急ぎたい気持ちが強くなる。暗くて景色はほとんどわからないが山並みを見る感じかなりの絶景っぽい。定期的にやってくる眠気をなんとかやり過ごしながら「早く朝になれ!」と思う。うっすら明るくなってきたころ、後ろから速い選手に抜かされた。この選手にはCP1の前でも抜かされた気がする。姿は見なかったがどこで寝ていたんだろう。ただ速い人がいまここにいるということは自分も眠って問題ないのではと思い、少し進んだところにあった除雪車の転回跡で寝ていくことにした。
コース途中で寝るときはサーマレスト(クローズドセル)に上にツェルト(ドームシェルターなので袋状)にシュラフを入れて、シュラフの中にさらにベイパーバリアの袋(エマージェンシーシートみたいな感じ)を入れて中に入る。状況によっては中にポールを持ち込んでおいて後から空間を作ってもいい。これだと5分で設置、5分で撤収できる。収納も大きな防水袋にツェルト、シュラフ、ベイパーバリアを3枚重ねのまま収納してしまう。1時間ほどごろ寝をして目を覚ますとすっかり明るくなっていたのでいよいよボーダー越えに向かって出発。
ボーダー越えに向かって標高を上げていくが意外と風は感じない。天気も良く歩きやすい。ところがボーダーに到着するなり突風。それでも景色良く重要ポイントなので写真を撮ろうとするがデジカメがうまく動作しない。TG4は動作しているし撮影もできるがオートフォーカスが効かない(ピンボケ状態で停止する)、ならばとソリからOMDを取り出すがバッテリーが冷え切ってしまっていて電源入らず。しかたがないのでどうにか動いているTG-TrackerとなんとかTG4(ピンボケかもな状態)で写真を撮って出発。ノースウエスト準州側を下っていくがずっと左から右への突風(北風)で顔を上げていられない。しかし直射日光があるためか寒さは感じなかった。体を思い切り左に傾け壁に寄りかかっているような感じにして進む。下りだがゆっくりとしか進めない。
標高が下がってくると風が弱くなってきた。レース全体としてもここからは下りのほうが多くなるので最大の難所は越えたといっていいかもしれない。ジェームズクリークに14時57分到着。予定よりも43分早い。リタイアした松村さんが大会スタッフの車に同乗してCPに来ていた。ここから先も大会スタッフの来るまで先回りしつつフィニッシュまで行くらしい。リタイアの原因は低体温症だったがオーロラの写真を撮ろうと停滞したのが引き金になったという。昨夜はたいしたオーロラじゃなかったから、事前にオーロラツアーとか行っていいオーロラを見れていれば無視できただろうな。昨日はほとんど眠っていないのでCPでしっかり眠っていくことにした。
標高が下がってくると風が弱くなってきた。レース全体としてもここからは下りのほうが多くなるので最大の難所は越えたといっていいかもしれない。ジェームズクリークに14時57分到着。予定よりも43分早い。リタイアした松村さんが大会スタッフの車に同乗してCPに来ていた。ここから先も大会スタッフの来るまで先回りしつつフィニッシュまで行くらしい。リタイアの原因は低体温症だったがオーロラの写真を撮ろうと停滞したのが引き金になったという。昨夜はたいしたオーロラじゃなかったから、事前にオーロラツアーとか行っていいオーロラを見れていれば無視できただろうな。昨日はほとんど眠っていないのでCPでしっかり眠っていくことにした。
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