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7時ぎりぎりに起床。小野さんに「朝食行かないんですか?」と言われつつ、素早く準備して小野さんと一緒に朝食へ。前日にすぐに装備チェックに行ける状態に荷物をまとめてあったので朝は何もすることがないのでぎりぎりまで寝ていたのだった。ついに今日からレース開始。「いよいよかー」と緊張感も高まり胃がむずむずする。このホテルの朝食が終わると次にきちんとした食事ができるのは1週間後。いつも砂漠へ行く直前のホテルの朝食はおいしいものをたくさん食べるという感じなのだが、今回のホテルの食事はやっぱりいまいちな感じでちょっと残念だった。
8時にブリーフィングに集合。アリがいたので小野さんが「シロー(荒井くん)の友達です」とご挨拶。アリはアタカマ・クロッシングも走りNHKの番組にも登場している。難病の娘さんに勇気を与えるために走っているランナーだ。自分とアリはアタカマでは顔を合わせていない。しかし荒井くんがアリに番組のDVDを送っていたのでお互いに映像を通してよく知っていたので「おおー!」と声を掛け合って握手する。ブリーフィングはだいたいいつも通り・・・いつも通り英語をほとんど聞き取れない(笑)今回はRacingThePlanet代表のメアリーが総指揮官ではなくアリーナがリーダーみたい。サブはいつものサマンサ。小野さんに要点を聞いて終了(といっても何も記憶に残っていないが・・・)
一度部屋に帰ってから9時45分から再びブリーフィングをおこなった場所で装備チェック。あまり細かくチェックされていろいろ質問されるとうまく受け答えできるか心配なのでスタッフの細かさ具合が気になる。装備を広げてチェックを受けている人を観察していると、かなり細かい!いままでにないくらい細かくチェックされています。砂漠レースでは数人のスタッフが100人以上の装備チェックをおこなうので、だんだん疲れてきて?後半になると適当になってくるのですが今回のスタッフは気合十分な様子が見て取れます。エジプトで一緒だったパオロが装備チェックを受けているのを見つけて話しかけたいと思ったが、厳しい装備チェック中なのでやめておいた。
いろいろ書類(たぶん死んでも文句言いません的なことが書いてある)にサインをして装備の計量をおこなう。荷物は8.25kg。レーススタート当日の朝食を除いた背負う重量は8kg程度だろう。小野さんとチェックの列に並んでいるときに香港のパッチをつけたおばちゃんに声をかけられた。日本のカップラーメンを手に持っていて「野菜も肉も入っているしカロリーも高くて素晴らしい。ありがとう!」とのこと。我々に言われてもー(笑)メーカーの人が聞いたら喜ぶだろうな。装備チェックは2段階あり、衣料などの装備品チェックと食料品のチェックがある。食料品のほうは専門知識のあるスタッフが担当する。装備品のチェックはすんなり終わり(義務装備なのに確認されなかったものもあり)、いよいよ面倒な食料品チェックへ。やってきたのはアリーナ。ちょっと嫌な予感、アタカマでも厳しく突っ込まれたが、そのときもアリーナじゃなかったっけ?(汗)じっくり食料品を見ていくアリーナ。そして、こちらを見て「にやり」。やばい(汗)やっぱり「少し食料が足りない」と言われる。アタカマと同じだー。というか食料アタカマと同じものを持ってきているんだから当然同じかー。近くにいた小野さんに通訳をお願いして交渉?開始。小野さんが「彼はエキスパートだから大丈夫」とフォローしてくれるが「知ってる」とアリーナ(そう認識してくれてるのは嬉しい)。で、仕方がないので今日のおやつ&夕食として別の袋に入れていた食料を見せて「今日の夜と明日の朝の分」と言って「OK」をもらった。この対処もアタカマのときと同じですが・・・。これで一安心。とりあえずスタートラインに立てる。
鈴木くんが装備チェックに苦戦。足りないものがたくさんあるらしく調達に走り回っていた。大丈夫かーと様子を見ているとチェック担当のおじちゃんがこちらを見て「にやっ」笑って指で銃の形を作り鈴木くんを撃つ真似。おじちゃん楽しいけどチェックは厳しいです。鈴木くんはどうしても調達できなかったものを栗原くんから借りてきて無理やり装備チェックを通したが、ずっと栗原くんと一緒にいるのをスタッフに見られていたので「あとで栗原くんも一緒に来て足りなかった装備品を2人揃って見せるように」と言われてしまっていた。それにしても鈴木くんのシューズにびっくり。MIZUNO WAVE EKIDENだった。ソールの薄い短い距離用のシューズだ。岩を踏めば足の裏にダメージがあるだろうし、焼けた砂の上では足裏が高温にさらされる・・・と思う。しかし鈴木くんは「これが一番マメができないんです」と言う。彼もサハラマラソン、ジャングルマラソンを走破したツワモノなのできっと自分に合ったやり方なんだろう。
部屋に帰るときにマレーシアのタンさんに会った。タンさんともアタカマで会った。自分が英語をほぼできないので会話はしていないのだが、やっぱり知っている顔に会うと笑顔が出て自然に握手したり抱き合ったりするのは砂漠レースの楽しいところだなあと思う。タンさんが「セイジ(宍戸さん)は?」と言うので「今回は来てない」と答え、お返しに「ジャックは?(タンさんの友達)」と聞き返した。ジャックは今回は来ていない。それからタンさんが「ケンジは?」と言うのでケンジって誰だ?と思い「(もしかして)コマイ?」と聞くと「Yes!」と言う。コマイさんは日本トップレベルのアドベンチャーレーサーでアタカマのときにはNHKの撮影クルーとしてレースを追いかけた。タンさんと仲良くなっていたのかー。
部屋に帰って最後のツイッター「これから戦場に行ってきます」と書き込み。荷物を持ってホテルをチェックアウト。砂漠に持っていくもの以外はホテルに預ける。日本人選手みんなで”使用前”写真を撮る。1週間後全員無事にここに戻ってこれますように!バスの中では爆睡。気がつくとだいぶ時間が経っていてバスはトイレ休憩に。すでにまわりは砂漠の風景なのに小奇麗な建物がたくさん立っていてお祭りみたいなことをしている。ステージ上で歌や踊りをしている。ここは新興住宅地?でも周りは砂漠だし、どんな場所でなんでお祭りなのかわかりません。レッドブルのノボリやテントがたくさんあるのでスポンサー付きで何かのイベント?きれいに整備されていましたが、トイレは中国式でした。穴掘って木の板が乗せてあって周りから丸見えなやつ。
暑いなー疲れたなー飽きたなーと思ってしばらくしてからやっとトイレ休憩が終了して(トイレ休憩というよりイベントに連れてきた?)やっとバス出発。もうしばらくかかるのかなと思ったら、わりとすぐに到着した。広場になっている場所でバスを降り両側に木が茂っているトレイルを数分歩いて今日のキャンプ地に到着。今回のレースはテントがいつもと違う。いつもRacing The Planetのレースでは白いテントなのだが今回は濃い緑色のテント。軍隊のようなイメージだ。キャンプ地の入口では現地の人が音楽を演奏している。アタカマでもあったが、こういうこの土地ならではのもので演出してくれるのはとてもいいと思う。レースをするだけではなくなるべくその土地の雰囲気や文化を感じたい。
装備チェックのときに「ラーメンありがとう」と言っていた香港のおばちゃんと再会。おばちゃんの名前はテニアさん。今回、美絵さんはレース中に震災チャリティ活動として海外の選手から日本の被災地宛のメッセージをもらうということをしているため、テニアさんにメッセージをもらおうということになった。するとテニアさんは近いうちに日本の被災地にボランティア活動をしにいく予定になっていると言い日本の被災地のことを話しながら涙ぐみ一緒に話をしていた長谷川さんと抱き合った。あまりにもいい話しすぎる。(自分は英語を直に理解できず通訳してもらって聞いているのが残念)香港の選手がその様子を写真に撮ろうとしてテニアさんに「写真は撮らないで」と言われたが素早く写真を撮って見せてくれた。これまたいい写真すぎ・・・。
まだレーススタート前なので、前日の夕食は自分で用意していくことになっているものの、大会側からペプシ、パン、スイカ、メロンの差し入れがあった。パンは重量感がありちょっと固くておいしいとは言いがたかったけどなんとか食べきった。レース前なのでエネルギーを体に溜め込みたい。韓国から今回は大所帯で、タッパーにたくさんの韓国料理を用意して大宴会に。ウルムチに住んでいる韓国の方からの差し入れらしい。「たくさんあるので一緒に食べよう」と誘ってくれ韓国・日本メンバーで楽しい食事の時間になった。韓国の人は日本語ができる人が多いみたい。以前から知り合いのユーさんはまったく会話に支障ないし、今回初対面のキムさんも日本語がすごく上手。キムさんはヒマラヤによく行く登山家で山の話をしてくれた。
成宮さんが頭が痛いと言って「すぐリタイアしちゃうかも」とか言っているので、自分がリタイアしてしまった時のことを話し、「自分はみんなに何かできるわけではないけれど一番の目標は全員で完走することなので必ず完走しましょう」と言った。とにかく仲間が全員完走することに勝る結果はないので、最終日のゴールをみんなで祝いたい。
キャンプ地をぶらぶら散歩。天山山脈がとてもきれいに見える。キャンプ地はこれが砂漠レースのキャンプ地とは思えないほどのんびりとしたくつろいだ空気そしてゆっくりと時間が流れている。しばらくして日没を向かえ天山山脈の端のほうに夕日が沈むのを見届けているとアリに声をかけられた。アリは自分の写真を撮り明日からの健闘を誓い合った・・・言葉は交わしてないけれどそんな雰囲気(笑)やっぱり23時くらいまでうっすら明るかったがテントの中に入ってしまえば暗く寝るのに支障はなかった。